【1】雛祭りとその由来 |
女の子の節句、雛祭りは桃の節句とも言われます。
本節ではその桃の節句である雛祭りとはどんなお祝いか、その由来と歴史を中心に解説しました。
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女の子の初節句、雛祭りとは? |
日本には昔から伝えられている四季折々の伝統行事がありますが、3月3日の雛祭りもその一つです。日本の伝統の素晴らしさや楽しさを子どもたちに引き継ぐ上でも、また、日々の暮らしを大切にする上でも、季節と共に巡って来るこうした行事をいつまでも大切にしてゆきたいものです。
雛祭りは3月3日の節句で、日本の五節句の一つです。五節句とは、日本の季節の節目にお供え物をして今までの感謝と今からの実り多き暮らしになるよう願う日本の心を表す伝統文化です。古来より人の形を模した雛人形を飾って、菱餅や白酒、桃の花などを供えて祭ります。起源は平安時代ともそれ以前とも言われており、『源氏物語』の『若紫』に『ひひなあそびにも絵画い給うにも・・・』とあり、その頃には既に人形(ひとがた)は女の子の遊びの一つであったようです。
女の子の初節句である雛祭りは、高貴な生まれの女の子の厄除けと健康祈願のお祝いとしての桃の節句が庶民の間にも定着して行ったお祝いです。ですから、単なるお祭りではなく、お七夜やお宮参りと同じく女の赤ちゃんの健やかな成長を願う行事、言うならばお雛様は、赤ちゃんに降りかかろうとする災厄を代わりに引き受けてくれる災厄除けの守り神のようなものでもあるのです。気持ちの問題ですが、省略せずにきちんとお祝いしてあげましょう。
初節句とは子どもが生まれて初めて迎える節句ですが、女の子の場合は「桃の節句(3月3日)」にお祝いします。この節句は、二十四節気を補うものとして江戸時代に定められたものの一つで、五節句は、七草(人日)の節句(1月7日)、桃(上巳)の節句(3月3日)、端午の節句(5月5日の)、七夕の節句(7月7日)、重陽の節句(9月9日)の5つを言います。雛祭りは別名「上巳(じょうし)の節句」とも言い、室町時代に中国から伝わった五節句の一つです。なお、雛祭りのもう一つの呼び方である「桃の節句」の由来は、上巳の日の頃に桃の花が咲くからとも、昔から桃には邪気を祓う力があるからとも言われていますが、甘く香る桃のイメージが華やいだ女の子のお祭りに相応しいことから、今ではすっかりこの美しい名前のほうが親しまれるようになっています。
雛祭りは元々は旧暦3月上旬の巳(み)の日に行なわれていた行事で、老若男女関係なく、季節の変わり目に「身の穢れを祓い、無病息災で暮らせるように」と川で身を清めて汚れを祓う神事でした。それが平安時代に宮中の小さな女の子たちの間で行なわれていた人形遊びである雛遊びと結びつき、紙人形などに穢れを移して川に流し、女の子の健康と幸せを願ったものが雛祭りの起源だと言われています。今でもこの風習は、鳥取や京都で流し雛という行事となって受け継がれています。雛祭りにおいて現在のように人形を飾るようになったのは江戸時代以来のことで、徳川家康の孫娘・東福門院が自分の娘のために作った男女一対の内裏雛が始まりとされます。その後、裕福な商家や名主の家庭へと広がり、次第に3月3日に人形を飾って女の子の成長を祝う儀式として定着し、飾る人形も段々豪華になってゆきました。三人官女や五人囃子などを加えた段飾りが普及したのは明治時代以降のことです。
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雛祭りとその起こり |
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桃の節句の由来 |
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桃の節句の歴史は古く、平安時代に溯ります。元々陰暦三月始めの巳の日を悪日としていたため、紙で作った人形を川に流して汚れや穢れを祓う行事を上巳の節句と呼んでいました。この風習は、現在でも鳥取県の流し雛などに残っています。この上巳の節句が後の桃の節句のルーツとなります。
平安時代、上巳の節句の日に人々は野山に出て薬草を摘み、その薬草で身体の穢れを祓って健康と厄除けを願っていましたが、この行事が後に宮中の紙の着せ替え人形で遊ぶ「ひいな遊び」と融合し、自分の災厄を代わりに引き受けさせた紙人形を川に流す流し雛へと発展してゆきます。それが室町時代から江戸時代を経て雛人形を飾るように変わってゆき、女の子の幸福を祝う日とされたのです。つまり、不幸の種や悪いことは雛人形に背負ってもらい、子どもが幸せに育ってほしいという親の願いから人形を飾るようになったのです。 |
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曲水の宴
〜三月三日は邪気が生まれる季節の境、水辺で身を清める日〜 |
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雛祭りの起源は古く、三世紀頃の中国にまで溯ります。旧暦3月3日は巳の日、邪気が生まれやすい季節の変わり目として知られていました。上巳(じょうみ・じょうし)と呼ばれるこの日、禊ぎ払いのため水辺で身を清め、季節の植物を食べる曲水(きょくすい)の宴という風習がありました。このような節目の行事に日本古来の神事や宮中行事を取り入れたのが日本の五節句です。雛祭りも五節句の一つで、奈良時代から始まりました。
水辺に出て不詳を除くための禊ぎ祓いを行なう曲水の宴という中国発祥の風習があり、これは秦の昭王の時代から始まったと言われています。曲水の宴は3月3日あるいは3月の上巳の日に催され、『蘭亭序』に353年の3月3日には曲水の宴が開かれたとあります。この曲水の宴は日本にも伝わり、485年3月に宮廷の儀式として催されたことが日本書紀に記されています。
曲水の宴は、水辺で杯を流し、詩を読むのですが、緩やかな水の流れに乗って杯が自分の前を通り過ぎるまでに詠めなければ、その杯に入ったお酒を飲むという風流な宴で、水の精霊に対する祭りの一つとして、不詳を流水に託して除去することが宴に変化していったのだろうと考えられます。この曲水の宴は多く絵画化されていて、京都御所の御常御殿の襖にもその様子が描かれています。現代では3月の最初の日曜日に太宰府天満宮でも「清らかな水の流れに、盃を流して禊祓の儀式」として催されています。奈良時代には既にこの宴は盛んであり、平安時代に入ってもますます盛大に行なわれていたようです。 |
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女児を亡くした親の心を癒やす儀式という説も |
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雛祭りには、漢の時代の中国において、3月3日、生まれて3日目に亡くなった3人の女児を悼む儀式が起源とする説もあります。嘆き悲しむ親のために村人たちが酒を持ち寄り、女の子を清めて水葬したことから、この日は女の子の厄を払い、健やかな成長を願う日となったというのです。 |
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雛人形とその変遷 |
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身代わりとしてのヒトガタ〜人形は災いを引き受ける身代わり〜 |
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平安時代になると、貴族の子女が「ひいな遊び」をしたという記録が残っており、宮中で雛祭りが盛んに行なわれていたことが分かります。「ひいな」とは小さく可愛いもののことで、紙などで作ったヒトガタ(人形)と道具を使って遊びます。人形は季節の節目の行事における身代わりとしても使われ、紙人形を身体の悪いところに触れさせることで厄を移し、身代わりとなってくれた人形を川へ流して災いを遠ざけましたす。今でも各地で行われる流し雛はこの風習の名残と言われます。
古来より日本では祓いの道具としての人形がありました。人形は「ヒトガタ」と読み、形代とも言いました。「人間の代わりをするもの」という意味です。ヒトガタは自然界の邪悪なものを人の形をしたものの持つ霊力で防ごうとしたことがその始まりで、それは、病気や厄災から身を守ってもらい、ある時は穀物の害虫を持ち去ってもらうためのものであり、子授けや安産の祈りを託すものであり、さらにある時は全く逆に人を呪詛するためのものだったりもしたものです。これらは全て生活から出た切なる願いだったのです。たとえば権力者が死ぬと、その人に仕えていた人を一緒に埋めた殉死の風習を止め、その代わりに人形を入れて祭ったとも言われます。そして、このヒトガタが3月の上巳の日に用いられることがあり、それが曲水の宴と融合し、自分の罪を人形に託すために人形を肌身にすりつけ、或は息を吹きかけ、これを水辺に棄て流すこともありました。これらヒトガタは『延喜式』にも認められ、『あまがつ』『這子』などとして存在しています。また、『源氏物語』の『須磨』においても、源氏は上巳の祓いを須磨の海岸で行ない、人形を海に流しています。 |
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女の子の遊び道具としての雛人形 |
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当初は宗教儀式と固く結びついていたヒトガタでしたが、やがて人形となって子どもに与えられ、次第に愛らしく作られるようにもなりました。『源氏物語』の『紅葉賀』にも《ひひなの中の源氏の君、繕い立てて、内裏に参らせなどし給ふ》とあるように、幼女の遊びとして小さな人形が使われていたことが分かります。初めは、紙を人の形に切り抜いた紙人形だったのですが、次第に土製、焼き物、布の衣装を着せた人形などが生まれて、女の子のための遊び道具という地位も確立していきました。そして、3月3日の上巳の節句にも、女の子の遊び道具としても使われたヒトガタの人形は中世以降、次第に立派なものに作られるようになってゆきました。上巳の節供で使われる人形が、水に流すだけではなく、置いて飾るためにも作られるようになったのです。こうして出来たのがお雛様です。なお古来は、3月3日以外にも小正月、端午、八朔、重陽などにも雛祭りは行なわれ、『後の雛』と呼ばれて雛人形が使われていたそうです。 |
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立雛から座雛へ〜雛祭りの普及は江戸時代〜 |
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江戸中期、元禄時代になると、人形を使った季節の風習が庶民にも広まります。人形は遊び道具から鑑賞品として扱われるようになり、次第に豪華な雛人形が作られるようになってゆきます。サイズは現代よりかなり大きく、4〜60cmのものもあったと言います。江戸後期には贅沢を規制する幕府方針によって小型・細密化に向かいました。立ち雛に代わって庶民向けの座り雛が主流となり、段飾りも生まれます。 |
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雛祭りへの変化 |
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雛祭りらしい行事の宮中での記録は、1629年(寛永6年)頃、文献として初めて登場します。2代目将軍秀忠の娘で後水尾帝の中宮として入内した東福門院が3月3日に雛の宴を催したと記されています。その頃はまだ雛祭りと言わず、雛遊びと呼ばれていました。雛祭りの名が一般的になるのは江戸中期以降です。それまで宮中、貴族の間だけで行なわれてきた雛遊び・雛祭りですが、庶民の間で書物として描かれるようになったのは、貞享から元禄1700年前後以降だとされています。その少し前、天和(1681〜1683)頃の京の四季を描いた『天和長久四季あそび』という本にも、5月節句はありながら雛の姿は全く見当たりません。元禄以降になると、雛壇の前で雛祭りを楽しむ少女たちの姿が多くの書物に見られるようになり、元禄辺りを境として、泰平の世に四季の遊楽を求める庶民たちの間に雛祭りが急速に広まっていったことが窺われます。こうして、江戸時代、5月5日が男の子の節句となったのに対し、3月3日の雛祭りが女の子の節句と考えられるようになり、宮廷の階層を真似たひな壇を作り、一層華やかに飾り立てた雛祭りとなってゆきました。 |
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民間行事に息づく雛祭り |
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山遊びと雛祭り |
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昔から日本人には、忙しい農耕や漁労の仕事に入る前の春の一日を野山や海辺に出て遊んだり飲食をする慣わしがあり、これを山遊びと言い、今では遠足と呼び名を変えています。遠足(山遊び)の起源は大昔に溯り、この日は労働を休まなければならない物忌みの日(悪日、節日)の一つでした。古い時代には旧暦3月3日に行なわれた行事で、温暖な地方では3月3日、寒い地方では4月8日などに山遊びや磯遊びと言って、みんなで野や川にでて遊ぶ風習があり、現在でもこうした風習は全国的に見られます。
春という季節は、山の神が里に降りてきて田の神となり、農業が順調に行なわれることを見守ってくれる季節で、春にはまた山に帰ってゆくと信じられていました。その神はまた死んだ祖先の霊魂でもありました。昔は人が死ぬと魂は屋根の棟に上り、その後は村外れの一本の木に宿り、一年経つと山に行って神になると考えられていました。祖先の霊が時に山の神になったり田の神になったり、水の神に姿を変えて現われると信じられていたのです。この山に出かける山遊びは、神様を迎えにゆく風習が姿を変えたもので、山に入って村人がみんなで飲んだり食べたりすることはまた、神と人とが一緒に食事をすることであり、直会をすることだったのです。
ちなみに大阪府や奈良県でも、この3月の節供を花見正月とか野辺節句、花見などと言って、老人や子供から大人まで、みんな揃って花が美しく咲き乱れた丘などに登り、ご馳走を食べて日がな一日、野原で遊ぶ風習があります。今と同じように山遊びの場は大らかな男女交際の場となっていて、若い男女が歌を詠みあって結婚の約束をしたりもしました。また、近畿や中国地方で広く行なわれている節日にハルゴトというのがありますが、これも激しい稲作の労働に入る前の3月半ばの春の一日を野遊びに当てる風習です。奈良盆地などではこれをレンゾまたはレンドと呼び、3月から田植え前頃までの一日を春休みの行楽に当てます。そして、ツツジなどの野山の花を持ち帰って苗代の水口に立て、水口祭りを行ないます。この日につく餅をレンゾの苦餅とかレンゾの蓑笠餅などと言いますが、これは辛い農作業を前にして食べる餅の味をこのように言ったのだろうと考えられます。 |
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磯遊びと雛祭り |
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春に海岸に出かけて遊んだり食事をしたりする磯遊びもまた、山遊びやハルゴトと同じ意味合いを持った行事です。山に近い地方では山に、海に近い地方では磯に出て遊ぶのが慣わしでした。海に近い地方では、旧暦3月3日の節供や3〜5月の大潮の時に家族総出で浜辺に出て磯遊びをしていました。現在盛んに行なわれている潮干狩りも、元は磯遊びが起源となったもので、元々潮干狩りは雛流しの時に水辺に出て穢れを祓った行事が変化して行なわれるようになったとも言われています。都では雛人形を飾る雛祭りが発達したのに対して、磯遊びは九州西部や沖縄県の島々一帯などの海岸地方に最近まで良く残っていました。なお、雛祭りのお節料理としてハマグリやアサリなどを供える風習がありますが、これは潮干狩り3月3日に行なわれたことと何らかの繋がりを感じさせます。
ちなみに、江戸時代の大阪では3月3日の住吉の潮干狩りが有名で、大阪だけでなく近くの人々も集まって、手に手に熊手を持ち、笛太鼓や鼓、三味線などのお囃子を乗せた船を漕ぎ出し、住吉の浦から堺の裏まで人で埋め尽くすほどの盛況だったと伝えられています。また、沖縄では3月3日は家に居てはいけない日とされ、村中の人がお弁当を持って海辺に繰り出し、楽しく食べたり踊ったりして過ごしたそうです。一方、東北地方でも、この日、女性や子供が浜辺で草餅を食べる慣わしがあったとされます。 |
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参考図書の紹介1 |
■雛祭りに関する参考文献 |
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是澤博昭・著 |
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『子供を祝う端午の節句と雛祭』 |
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淡交新書、淡交社・2015年04月刊、1,200円 |
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日本古来の年中行事というイメージを抱きやすい端午や上巳の節句が生活の中に定着するのは、今から250年ほど前の江戸時代中頃のこと。当時の人々の生活
文化という視点から、なぜ、どのようにして「節句」が年中行事となったのか、またそこに飾られるものにどのような意味があって発展してきたのか、見つめな
おしてみましょう。 |
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福田東久・著 |
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『雛まつり 親から子に伝える思い』 |
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近代映画社・2007年02月刊、1,800円 |
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美しい日本の習慣、「雛祭り」を知る本です。雛の歴史を物語る江戸時代の雛人形を紹介。飾り方、しまい方もアドバイスします。 |
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酒寄健治+酒寄豊子・著 |
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『日本の文化・真壁の雛祭り 酒寄健治・豊子写真集』 |
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文芸社・2005年02月刊、1,800円 |
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筑波山や加波山に囲まれた城下町、茨城県真壁町。数多く残る歴史的建造物から、江戸風情を色濃く漂わせるこの町で、毎年、代々受け継がれてきた雛人形がお披露目される。町の歴史を見つめ続けたひとみが、行き交う人を幻想の世界に誘ってくれる。 |
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【2】雛祭りの食べものとその祝い方 |
雛祭りではどんなお祝いをするのでしょうか?
本節では、雛祭りの料理やお菓子、そしてそのお祝いの仕方などを取り上げ解説しました。
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雛祭りの願い |
雛人形が次第に豪華なものとなっていっても、かつての人間の身代わりとしてのヒトガタの意義は失われることはありませんでした。特に女性が旅行や嫁入りの道中で災いを人形に代わってもらおうと、人形を抱いて輿に乗ることが慣わしとなりました。そのようなことから、公家や武士などの上流階級では、婚礼の嫁入り道具の中に雛人形を入れるようになったのです。さらには、女の子がいつの時代にも憧れる嫁入りを真似た人形が作られるようになり、初めは一体だった人形が男女二体の内裏雛となってゆきました。一緒に飾られる調度品は、嫁入り道具を真似たミニチュアとなったのです。また、大名の家では嫁入り後、初めての節句に内裏雛を飾り、公家では女の子の誕生を祝って雛を贈るようになります。江戸時代中期頃からは、庶民の間でも女の子の初節句には母方の里から雛を贈って祝うようになり、こうして雛祭りは女の子のお祭りとして定着して行きます。
節日に供物を供え、酒宴を催す五節句は広く行なわれていましたが、この3月3日の雛祭りに欠かせないのが桃の花と白酒、そして菱餅です。桃の花が飾られるのはいつの頃からか明らかでありませんが、室町時代の上巳の節供には一般でも飲む白酒を桃花酒と読んでいました。これは季節の花を冠しただけでなく、中国で行なわれていたことを取り入れたものです。中国では桃は邪気を祓うと仙木とされていて、西王母の桃の神話や武陵桃源の伝説が有名です。武陵の桃花を浮かべ、流れ出る水を飲めば気力が充実し、300歳の長寿を保つとされていました。日本でも桃は魔除けとして使われ、雛祭りの起源でもある上巳の節句にも桃酒は使われており、のため3月3日を桃の節句とも言うのです。室町時代になると、桃酒に代わって白酒が祝いの席で飲まれるようになりました。白酒とは蒸した米と麹にみりんを混ぜて作った甘い濁り酒です。また、菱餅の赤、白、緑の三段重ねの色は、それぞれ桃の花、白酒、草餅の色を表していると言われます。草餅は山遊びの時に摘むヨモギを入れて作りますが、ヨモギは邪気を祓う力を持っていると信じられていて、また増血剤にもなります。さらに菱餅の形は心臓を表しているともされ、そこには災厄を除こうとする気持ちや親が娘の健康を願う気持ちが込められているのです。なお、雛壇の前で女の子たちが集まって会食を楽しむ風景は、かつて3月に行なわれていた山遊びの風習を伝えたものと言われています。女の子が主役となって行うままごと遊びのような会食もまた、農耕の神様を迎えて行なう神と人との共食の儀礼と深く繋がっているのです。
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雛祭りの食べもの |
縁起物としての雛祭りの食べもの |
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縁起のよい意味がこめられた雛祭りの食べもの |
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雛祭りには古くから伝わる伝統的なお祝い料理があり、春の訪れを伝える旬の食材が使われています。代表的なものとして、ハマグリの吸い物や菱餅、雛あられや白酒、ちらし寿司などが挙げられますが、それぞれの料理や色にも縁起のよい意味が込められています。昔の人ならではの風情ある由来を知ると、意味を味わいながら雛祭りをより一層楽しむことができると思います。 |
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菱餅〜生命力溢れるヒシの実に因んだ縁起物〜 |
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雛祭りのお菓子は紅(ピンク)と白、緑が多いですが、これには一体どんな意味が込められているのでしょうか?
雛人形の飾りに欠かせない菱餅ですが、菱餅は湖沼に生息する水草ヒシを由来とします。ヒシは非常に強い繁殖力を持つ植物で、水の底に沈む種から芽を出し、茎は水面まで伸び続きます。そして、葉は空気を含み、浮き袋のように水面を覆い尽くし、花は白く、果実は菱形です。ヒシの実は様々な効能があり、インドでは幼い女児を救った植物として知られ、古くから縁起物として扱われていました。
菱餅は緑と白、紅(ピンク)の3色の餅を菱形に切って重ねたものを飾ります。上から紅、白、緑の三段重ねが一般的です。色からしても食用というより飾り用ですが、古くは健康によい材料を用いてこの3色を作り出していました。色の意味には幾つかの説があり、緑は健康や長寿、白は清浄、紅は魔除けを意味するという説と、緑は大地、白は雪、紅は桃で「雪がとけて大地に草が芽生え、桃の花が咲く」という意味が込められているという説があります。現代では代用品が使われることが多くなっていますが、従来は、穢れを祓う若草を表わす緑色の餅には増血効果があるとされるヨモギを混ぜ、清浄と残雪を表す白色の餅には血圧を下げるとされるヒシの実が入り、健康と桃の花を表す紅色の餅には解毒作用があると言われるクチナシが練り込まれて色をつけていました。また、菱形は心臓を表わしているとされ、それらには、災厄を除こうという想いと、親が娘の身体を労る願いが込められています。 |
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白酒 |
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元々は桃の花びらを漬けた桃花酒というものが飲まれていたと言われます。桃は邪気を祓い、気力や体力の充実をもたらすということで、薬酒の一つとして中国から伝えられました。江戸時代からは、みりんに蒸した米や麹を混ぜて1カ月ほど熟成させた白酒の方が親しまれるようになりました。白酒はアルコール度数10%前後のお酒で、やはり大人しか飲めないので、子どもにはノンアルコールの甘酒がオススメです。 |
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雛祭りの料理 |
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雛祭りの定番料理 |
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初節句のお祝いの席には雛祭りの料理を用意しましょう。代表的なメニューは、まずはちらし寿司です。長寿を意味するエビと見通しのよい蓮根などに、彩り鮮やかな玉子や三つ葉、イクラなどを織り交ぜます。当然ながらハマグリのお吸い物も欠かせません。これは対になって離れない貝に女性の貞節と夫婦の絆への願いが込められていると言われています。そして、乾杯には白酒や甘酒、本格的な桃花酒などを用意します。桃の花と縁起物の菱餅、桜餅、よもぎ餅、雛あられなどを並べ、華やかな食卓にしましょう。 |
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ハマグリのお吸い物 |
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ハマグリは平安時代には貝合わせの遊びなどで知られ、雛祭りの代表的な食べ物です。ハマグリの貝殻は、対になっている貝殻でなければぴったりと合いません。このことから仲のよい夫婦を表わし、一生一人の人と添い遂げるようにという願いが込められた縁起物です。 |
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ちらし寿司 |
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ちらし寿司そのものに特に謂れはありませんが、エビ(長生き)、レンコン(見通しが効く)、豆(健康でマメに働ける)など縁起のよい具が祝いの席に相応しく、三つ葉や卵、人参などの華やかな彩りが食卓に春を呼んでくれるため、雛祭りの定番メニューとなったものと考えられます。 |
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その他の雛祭りの料理 |
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その他にも、願いごとが叶うと言われるサザエや、ハマグリの代用品としてアサリなどの貝類もよく登場します。野菜では芽を出すものが喜ばれ、ワラビやヨモギ、木の芽などをおひたしや浅漬けにしたり、白酒に浮かしたりして楽しみます。また、ヨモギ餅や桜餅などが春の香りがいっぱいで子どもたちに喜ばれるでしょう。 |
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雛祭りのお菓子 |
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雛あられ |
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雛祭りと言えば雛あられですが、これは餅に砂糖を絡めて炒った桃の節句の代表的な和菓子の一つです。もち米で作られた独特の歯触りは、この時期の楽しみの一つつです。雛あられの由来は京都の菓子職人が宮中用に作ったのが始まりとする説、飾り用の菱餅を砕いて油で揚げたのが広まったという説など諸説あり、事実は明確ではありません。
色は菱餅同様、桃色と白、緑色の3色に黄色が加わることが一般的で、この4色で四季を表しているという説もあります。デンプンが多く健康によいこともあり、それぞれの色が持つ自然のエネルギーを身体に採り入れ、女の子が健やかに成長するようにとの願いが込められています。なお、雛あられは関東では甘い米粒大のポン菓子風のものが一般的ですが、関西では塩や醤油、エビ味などを混ぜた直径1cmほどのものが一般的です。これは、関東では米を、関西では砕いた餅を使ったことから、このような形状が広まりました。 |
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現代の雛祭りに欠かせない桜餅 |
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桜餅は雛祭りシーズンに登場する和菓子代表のような存在ですが、雛祭りに纏わる由来などは特にないようです。伝統とは余り関係なく、食べやすく、美味しいとところから、菱餅に代わって人々に好まれるようになったものと考えられます。 なお、桜餅は地域によって違いがあり、さらりとした薄皮を使う江戸風の長命寺と、粒がある京風の道明寺(関東ではこちらを桜餅と区別して桜道明寺などと称することも多いです)が存在します。 |
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地方によって違う雛祭りの和菓子 |
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雛祭りの和菓子は地方によって趣が変わります。たとえば江戸時代から広まった三段重ねの菱餅ですが、それ以前はヨモギと菱のみの二段だったと言われます。今では黄色などを加えて五段、七段の菱餅を作る地域もあり、また、菱形ではなく三角形を用いる地域もあるそうです。 |
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雛祭りとそのお祝いの仕方 |
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雛祭りのお祝いとそのマナー |
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女の子が生まれると誕生日はもちろんですが、お雛祭りも子どもだけではなく、家族全員にとってとても大切な行事になってくるでしょう。子どもの節句をお祝いしてあげると同時に、家族、両親、親戚などたくさんの人に支えられて成長しているのだという感謝の気持ちがわいてくる日でもあります。お誕生日やクリスマスなどは、それぞれの工夫に応じて楽しく過ごすのがいいのでしょうが、お雛祭りという古くからあるものに関しては地域差もありますが、ちょっとしたマナーも存在します。 |
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初節句に誰を呼ぶか? |
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女の子が生まれて初めて迎える雛祭り。社会の変化と共に年々簡素化される傾向にありますが、初節句だけは盛大にお祝いするという家庭が多いようです。雛人形雛祭りの2〜3週間前にお雛様を飾り、赤ちゃん、父母、双方の祖父及び祖母、また、お祝いをいただいた親戚やお友達を招いて、お雛様を囲みながら赤ちゃんの健やかな成長と災厄除けを願って、縁起の良いお料理で食事会などを行ないます。また、古来から初節句には、赤ちゃんに縁起を担いで赤い被布(ひふ)を着せてお祝いしました。赤は生命力の象徴で魔よけになると考えられていたため、健康と災厄除けとしては最適です。被布は雛人形を扱っている人形店や和服専門店で購入することができます。古い習慣では、家族だけではなく祖父母をはじめとする親戚や仲人さん、名付け親などを招き、大勢で祝ったということです。最近では家族と祖父母のみ、または家族のみでという形式が一般的となっています。 |
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初節句のお祝いの仕方 |
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初節句のお祝いは、赤ちゃんのおじさん・おばさんは必ずするものです。赤ちゃんの両親の仲人をした場合ももちろんお祝いを送ります。また、お付き合いの程度によりますが、親しくしている友人の場合は、おめでたい事ですから、お祝いしてあげるにこしたことはありません。会社の友人などの場合は、初めて生まれた子どもの場合、赤ちゃんの家族はとても嬉しいものです。大袈裟なお祝いはしなくてもよいと思いますが、同僚で集まってお祝い金をまとめ、何か記念になる物を贈るのもよいでしょう。 |
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初節句とそのタブー |
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お雛様をお節句の前日に慌てて飾る人がいますが、これは昔から「一夜飾り」と言って縁起が悪いとされています。また、お雛様は早めに飾って早めに仕舞うのがよいとされています。飾るのは、お雛様が届いたらお早めに、お節句の10〜20日前、出来れば2月の雨水の日に飾って初節句の用意をします。最近は宅配便が普及していることもあり、仏滅や赤口にお祝品が届いても余り気にせずに、日柄のよい大安や友引を選んで封を切ります。お節句が終わったら、次の日曜日にでも仕舞うようにします。 |
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雛祭りのお祝い品とその贈り方 |
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お祝いの品の金額と目安&品選び |
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初節句のお祝いは、一般的には、親族・仲人は1〜2万円くらいが目安となります。お返しをする側の都合もあるので、友人の場合は5千円〜1万円位でよいでしょう。次に贈り物選びですが、本来初節句にはお人形を贈るのが習わしですから、伝統的にはケース入人形が贈られてきました。以前はたくさんケース入人形が届く赤ちゃんは幸せになると考えられており、初節句にケース人形が多いほどよいとされました。現在では相手の住宅事情等も考慮し、頂く方の希望も聞いて決める方がよいでしょう。
飾る場所がないという場合は、数人が集まって小さくても飽きのこないよい品を贈るという選択肢も考えられます。また、品選びに迷わずに済むからと、初節句に「現金」を贈る方もおられると思いますが、余りオススメできません。品選びは悩むところが多いですが、赤ちゃんの健やかな成長を長いながら、心のこもった品を贈る方がよいでしょう。 |
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お祝いを届ける際の注意 |
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初節句のお祝いは、お正月があけたら早めに届けるのが礼儀です。その最たるものがお雛様で、これは少なくとも2月の中旬までには届くようにしましょう。また、初節句の当日に大きなお祝い品などを届けると、置き場所に困ったりしますから、先方の都合を聞いて何事も早め早めにすることが大切です。また、お祝い品を届ける場合は、お祝い事ですから、一応日時の善し悪しをカレンダーで調べてから届けましょう。どうしても仏滅や赤口にしか伺えない場合は、「お日柄の良い日に封を切って下さい
」などと一言添えて届けるなどの心遣いが欲しいです。届けた日が余りよい日でなくても、封を切る日がよい日なら大丈夫です。先勝の場合は午前中ならばよいとされています。 |
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初節句当日のマナー |
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既にお祝い品を贈ってある場合やお祝い金を届けてある場合は手ぶらでも大丈夫です。気になるなら、取り分けの出来るちょっとしたお料理やデザートなどを持ってよくと、テーブルが豪華になり、喜ばれると思います。 |
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初節句のお返し |
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初節句のお祝いに余り多くの人をご招待出来ない場合や、お祝いを頂いたけれど都合で出席してもらえなかった人には、初節句の日に撮った赤ちゃんとお雛様が写っている写真などを添えて早めにお礼状を送るのが礼儀です。お祝いをいただいた方へのお返しは、3月中旬頃までに「内祝い」としてお子さんの名前でします。お礼状と一緒に、お赤飯や紅白の角砂糖・桜餅などを添えて贈るのが習わしです。しかし、最近は角砂糖や桜餅にこだわらなくても、紅白饅頭など日持ちのする物などアイデアをこらした品に赤ちゃんの写真や初節句のお祝いの時の写真などを添えて贈るといったことも行なわれるようになっています。 |
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参考図書と参考サイト2 |
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