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今月のワンポイントアドバイス



 昨今、ネットによる人権侵害をはじめ、ネット犯罪が多発しています。来る高度情報化社会を生き抜いてゆくためにも、私たちは情報倫理と情報リテラシーをしっかりと身につける必要があります。そのため、今月は情報倫理と情報リテラシーを取り上げました。
情報機器


身近なネット犯罪
【1】ネットの犯罪に巻き込まれないために
【2】情報倫理とその必要性〜被害者にも加害者にもならないために〜
【3】情報リテラシーとその必要性〜高度正法か社会を力強く生き抜くために〜


【1】ネットの犯罪に巻き込まれないために

 時代が高度情報化社会へ移行する中、今までになかったようなネットによる犯罪が多発しています。その中でもネットによる人権侵害も目立って増えて来ました。ネットの情報を活用する前に、本節ではまずはこのような被害に対処するために必要最小限のことを解説しました。
多発するネット上での人権侵害


ネット人権侵害に日本人の4割が関心を持っている
根拠のない噂は誰が流しているのか?


 内閣府の「人権擁護に関する世論調査」で、インターネットによる人権侵害への関心が過去最高の4割近くに達したことが最近明らかになったそうです。ネット上の人権侵害の内容としては「他人を誹謗・中傷する情報」が57・7%で最も多く、「プライバシーに関する情報」が49・8%と続きます。実際に経験した人権侵害例は、長引く不況を反映し、「時間外労働の強制など不当な待遇」が14・8%で平成19年の前回調査時より6・8ポイント増加したと言います。なお、「ネット上の侵害に関心がある」との回答は36%で前回より3・3ポイント増えています。遠隔操作ウイルスに感染したパソコンから犯行予告メールなどが送られた事件が発覚し、こうした問題も今後関心を集めたのが原因だと考えられます。また、いじめによる自殺が問題となる中、「子どもの人権侵害に関心がある」も3・1ポイント増の38・1%で、経験した人権侵害例でも、初めて回答例に入れた「学校でのいじめ」は17・7%、「職場での嫌がらせ」も24・2%だったそうです。

ネット人権侵害の相談が過去最多を更新
 昨今、インターネット上の掲示板で中傷を受けたなどとする相談が急増しているそうです。人権擁護局が統計を取り始めた2001年は191件だったものが、ネットの普及と共に今や約20倍に急増しました。これらは、法務局の働きかけでプロバイダーが削除に応じるケースもあり、法務省は「困ったときは相談してほしい」と呼びかけていると言います。
 法務省人権擁護局によると、相談の大半は名前や顔写真などの個人情報を晒され、中傷されたというもので、たとえば名前や携帯電話のアドレスと共に性的な写真が掲載されているとか、或は中学生の娘を中傷する書き込みがあるなどの相談が寄せられているそうです。実際に就職活動に影響が出たり、精神的に不安定になって外出できなくなったりした深刻なケースもあると言います。たとえば11年10月に大津市の中学生が自殺した問題では、学校関係者やいじめたとされる少年らを実名で非難する書き込みが続き、実際には無関係だった人まで標的にされました。もっとも、人権侵害に当たる書き込みに対しては、被害者がプロバイダーや掲示板の管理者に削除を求められるますが、実効性がない場合もあります。被害が広がる恐れがあれば、被害者に代わって法務局が削除を要請していますし、削除の手続きが分からない人へのアドバイスもしています。実際、11年に法務局が名誉毀損やプライバシー侵害に当たると判断したのは624件、法務局はそのうち559件に削除要請の方法などを被害者にアドバイスし、少ないながら62件で直接削除を要請したと言います。もっとも要請に強制力はなく、最終的に削除するかどうかはプロバイダの判断によりますが、しかし、被害者本人の要請には応じなくても、法務局からの要請には応じるケースもあると言います。とにかく、悪質な書き込みは刑法の名誉毀損罪に問われることもあり、無責任な噂は人権侵害に繋がりかねません。たとえ匿名であっても発信者の特定は可能で、何れにしても書き込みには責任が生じるのだという認識が必要です。


全国共通人権相談ダイヤル
電話相談は無料。受け付けは平日午前8時半〜午後5時15分。全国共通人権相談ダイヤル(0570・003・110)へ。

http://houmukyoku.moj.go.jp/sendai/static/jinken_navi_dial.pdf

インターネットによる人権侵害に注意しましょう


インターネットで他人の個人情報を流したり、誹謗中傷や無責任な噂を広めたりすることは人権侵害につながります
 インターネットでは、自分の名前や顔を知られることなく簡単に発言することができます。そのため、近年このようないんたーの匿名性を悪用した人権侵害が多発しています。最近では、いじめなどの問題をキッカケとして、その事件の関係者とされる人たちに関して、インターネット上でひどい言葉を用いた書き込みや不確かな情報に基づく無責任な書き込みが為されたり、或は誤った情報に基づいて全く関係のない人たちを誹謗中傷(根拠のない嫌がらせや悪口)する書き込みがインターネット上で為されています。インターネットでは、いったん掲示板などに書き込みが行なわれると、その内容が直ぐに広まってしまいます。また、その書き込みをネット上から完全に消すことは容易ではありません。誹謗中傷や他人に知られたくない事実、個人情報などが不特定多数の人々の目に晒されて、そのような情報を書き込まれた人の尊厳を傷つけ、社会的評価を低下させてしまうなど、被害の回復が困難なほど重大な損害を与える危険があるのです。なお、このような人権侵害は時に名誉毀損の罪に問われることもあります。ちなみに、平成23年中に法務省の人権擁護機関である全国の法務局が処理したインターネットを利用した人権侵犯事件の数は624件となったそうですが、このうち、特定の個人について根拠のない噂や悪口を書き込むなどして、その人の社会的評価を低下させるといった名誉毀損に関する事柄が約3割、個人情報や私生活の事実にかかわる内容などを本人に無断で掲載するといったプライバシー侵害に関する事柄が約5割となっており、この二つの事柄だけで全体の約8割を占めています。


インターネットを利用する時もルールやモラルを守り、相手の人権を尊重しよう
 インターネットを利用する時も、直接人と接する時と同じように世間的なルールやモラルを守り、相手の人権を尊重することが大切です。お互いの顔は見えなくても、インターネットでつながった先にいるのは、心を持つ生身の人間であるということを忘れずにコミュニケーションを取ることが肝要です。なお、発信者が特定できないから何を書いても構わないと思うのは間違いで、捜査機関による発信者の特定は可能です。匿名の書き込みであっても、責任が生じ得るということを覚えておきましょう。


インターネット上で人権侵害があった時は、まずはプロバイダなどに情報の削除依頼をしよう
 インターネット上に自分の名誉を毀損したりプライバシーを侵害したりする情報が掲載されても、発信者が誰か分からないため被害者が被害を回復するのことは困難です。しかし、これが掲示板やSNSであれば、被害者はその運営者(管理人)に削除を求めることができます。さらに「プロバイダ責任制限法」という法律などにより、被害者はプロバイダやサーバーの管理・運営者などに対して人権侵害情報の掲示板やSNSなどに書き込みを行なった発信者の情報の開示を請求したり、人権侵害情報の削除を依頼したりすることができます。
 開示請求や削除依頼は、証拠として保存するためにメールや文書で行なうようにしましょう。ただし、掲示板などに直接削除依頼を書き込むことは掲示板上の議論に巻き込まれたりすることがあるので注意が必要です。


被害者自らが削除を求めることが困難な場合は法務省の人権擁護機関が削除を要請
 被害者自らが削除を求めることが困難な場合は、法務省の人権擁護機関である全国の法務局およびその支局に相談することもできます。法務局では、まずプロバイダへの発信者情報の開示請求や人権侵害情報の削除依頼の方法について助言を行なうなど、被害者自らが被害を回復・予防を図るための手助けをします。また、このような手助けをしても被害者自らが被害の回復・予防を図ることが困難な場合や被害者からの削除依頼にプロバイダが応じないなどの場合は、法務局がプロバイダへの削除の要請を行ないます。法務局からの削除要請は、被害者からの被害申告を受けて被害者が受けたインターネット上での人権侵害について法務局が調査を行ない、名誉毀損やプライバシー侵害に該当する場合などに行ないます。ちなみに、平成23年に処理したインターネットを利用した人権侵犯事件624件中、法務省の人権擁護機関がプロバイダなどに対して削除要請を行なったものは、数は少ないながら62件あったそうです。


参考:インターネット上の人権侵害を防ぐために
  • 他人を誹謗中傷する内容を書き込まない
  • 差別的な発言を書き込まない
  • 安易に曖昧な情報を書き込まない
  • 他人のプライバシーに関わる情報を書き込まない
  • 書き込みが不特定多数の人に見られる可能性があるということを常に意識する

参考:子どもがインターネット上における人権侵害に遭った場合の対処法

 学校裏サイト等で問題が生じたときの対応方法について基本的な事項を紹介します。


■問題が生じた時は
被害を受けた子どもの不安を解消するために大人がスクラムを組んで被害生徒を守るという姿勢を全面に出して相談に乗る
 名誉毀損や侮辱罪は親告罪であるため、本人が警察に告訴を行なわなければ警察の捜査は始まりません。従って個人の決断が必要となるわけですが、しかし、それでも生徒の相談に乗ることは可能です。そんな訳で、生徒が気軽に相談できる関係や条件整備を学校側が行なう必要となります。
公的機関への訴えについて被害生徒へアドバイスを行なう
 書き込みを削除してもらうのか、それとも書き込んだ者を特定し罰則を与えるのかといった問題につき、生徒の相談に乗ってアドバイスを行なう必要があります。
保護者や子どもたちに対して啓発活動を行なう
 特に携帯電話を買い与える保護者に対し、インターネット上で生じている問題やいじめがインターネット上で生じた時の重大性について、しっかりと周知する必要があります。また、生徒に対しても全校集会やクラスなどで執拗に周知することも重要です。ただし、いったん何か問題が生じた時は、従来の学級通信での啓発ではなく、緊急を要する問題として特別なチラシを作成したりする必要があります。
加害者が自校の生徒である場合、特別指導体制を整えておくこと
 この場合、担任だけではなく、生徒指導担当や人権教育担当、学年主任、管理職が連携して事例に取り組むことが重要です。
公的機関との連携
 まずは連携できる公的機関を普段から把握しておきます(※基本的に相談に乗ってくれる公的機関は法務局と県警です)。事象によっては、書き込みの削除やサイトの閲覧制限、書き込んだ人物の特定、告訴手続きなどの対応が考えられます。

■生徒が被害に遭った時は
サイト名及び内容などをコピー保存し、場合によってはプリントアウトを行なう
 携帯サイトの場合は、画面をデジカメ等で撮影をするか、無料の携帯シュミレーターをパソコンでダウンロードして、利用可能な場合はパソコンからコピーする。
学校長等に報告し、必要ならば対応方針等も協議する
関係機関に通報ないし相談する
 犯罪に関わる場合は警察へ相談、人権侵害に関わる場合は法務局または地方自治体の行政や県や市の教育委員会へ相談する。
人権侵害の場合は何はともあれ被害者救済の取り組みを優先させる
 原則的には、匿名で構わないので削除要請を行なう。

参考資料1:子どもをめぐるインターネット環境に関する参考図書


◆参考図書1:子どもをめぐるインターネット環境に関する参考図書
荻上チキ『12歳からのインターネット ウェブとのつきあい方を学ぶ36の質問』
荻上チキ・著
『12歳からのインターネット ウェブとのつきあい方を学ぶ36の質問』
ミシマ社・2008年06月刊、1,260円
【中学生対象】
「勝手に自分や学校のサイトをつくってもいいの?」「僕の悪口を書く人がいる。どうすればいい?」子どもたちからの質問に、1981年生まれの著者がやさしく、わかりやすく答えていきます。子どもの身に降りかかるネット上の「事故」から、いかに身を守るか。このことは、IT時代を生きる子どもたちにとって必須の知識であるはずです。しかし、家庭でも学校でも今までちゃんと教えられる機会が少なかった事柄です。この本は、「インターネットと、どのように付き合えばいいのか?」を、大人たちが子どもにしっかり教えていくことが大切、というテーマで作られました。大人も子どもも読みやすいように、36個のQ&Aとその解説で、とてもわかりやすい構成になっています。大人でも、学校の先生に訊いても、インターネットはわからない……。子どもがおこすインターネットの“事故”を防ぐために、気鋭の評論家、1981年生まれの荻上チキが立ち上がりました。いま話題のネットいじめや、学校裏サイトなど、ネットに関する問題はこの本で解決! 誰も教えてくれなかった<ネット・ケータイ>リテラシー入門の決定版です
大山圭湖『中学生が考える‐私たちのケータイ、ネットとのつきあい方』
エリック・スマジャ 著
『中学生が考える‐私たちのケータイ、ネットとのつきあい方』
清流出版・2009年07月刊、1,365円
【中学生対象】
ケータイ、ネットによる子どもたちのさまざまな悩みや困難、症例と、それに対して、自ら問題を解決していく子どもたちのたくましい力を報告。


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【2】情報倫理とその必要性〜被害者にも加害者にもならないために〜

 ネットを活用するに当たって、私たちが気をつけなければならないことが幾つもあります。その中でネット利用による自分が受ける可能性のある被害を最小限に食い止めることはもちろんですが、自分が加害者にならないように気をつける必要もあります。本節では、情報活用の前提としての情報倫理について取り上げ、以下でなるべく詳しく解説しました。
情報倫理とは
情報倫理とは何か?

 情報倫理と聞くと、人は一般にどのような印象を持つでしょうか。「あれをしてはいけない」「これをしてはいけない」といった規則を集めた禁止事項を想像する人が多いかも知れません。或は学者同士が行なっている机上の議論に過ぎなず、自分には何の関係もないものだと考える人もいるかも分かりません。それとも、中学や高校で勉強した道徳や倫理の授業と重ね合わせて、情報と倫理がどうやって結びつくのか疑問に思う人もいるでしょう。


 情報倫理(information ethics)とは、人間が情報を用いた社会形成に必要とされる一般的な行動の規範です。そして、倫理とは、一般的に言っていわゆる「道徳規範」のことです。ちなみに広辞苑によれば、道徳とは《人のふみ行うべき道。ある社会で、その成員の社会に対する、あるいは成員相互間の行為の善悪を判断する基準として、一般に承認されている規範の総体。法律のような外面的強制力を伴うものでなく、個人の内面的な原理》であるとされています。また、個人が情報を扱う上で必要とされるものは一般の社会道徳であり、社会という共同体の中では、道徳が結合した倫理が形成されます。従って現在の情報化社会における情報倫理とは、道徳の下に結合された倫理が行動の規範の中核とされ、情報を扱う上での行動が社会全体に対して悪影響を及ぼさないようによりよ社会を形成しようとする考え方であると言えます。従って、「倫理」という名が付いていることから分かるように、情報倫理もこの定義を応用したもので、従ってある種の規範であるということになります。具体的には、情報化社会における規範を考える倫理であり学問であるということになります。ただし、「ある社会で」という点に注意が必要です。つまり、時代や前提とする条件によって倫理は変わりうるということです。過去において、たとえばギリシア・ローマ時代の倫理学者が述べてきたことは、確かに現代に通じる面ももあるかも分かりませんが、それがそのまま現在も妥当性を保ち続けているとは限りません。情報倫理もそれと同じで、「情報」という言葉に含意される事柄が時代と共に変化すれば、倫理上検討すべきであると認識される状況やその解答も変化するのです。以上をまとめると、情報倫理は「情報化が進展している社会において、その情報化の進展に即しながら、社会的規範について考える学問である」と言うことができます。なお、ある行為の社会的規範と言っても実際には余り難しいことではなく、コンピューターでキーを押して何かを入力する、クリックするといった程度のことでしかありません。従って、我々が日々何気なく行なっている日常的なコンピューターの利用がどのような意味を持っているのかということについて改めて考え直すといった程度に考えて構いません。

 情報倫理を統制する仕組みは、まずは法律を用いることが一般的だと言ってよいでしょう。法律は、道徳に反する行動が発生した時に、倫理の質を高める手段として規制を法律に求めることで、倫理の最低限度で運用される性質があります。インターネットを情報手段とする社会では、人との付き合いで必要なマナーやモラルを求める傾向も強く、情報モラルや情報マナーと言った情報社会での習俗が日常化しています。道徳及び法律並びに風俗はそれぞれ性質は異なったものではありますが、それら道徳が結合し共同体として倫理が形成されるので、そこで基本的に倫理と法は独立し、習俗は倫理をスムーズに運用し維持するための形式的な手段であるということになります。このように道徳と法律、習俗はそれぞれ独立しているわけですが、それらが結合し、より善い社会形成を維持する手段として、情報倫理が存在するのです。
 なお、情報倫理の重要な特徴の一つはその技術的な側面です。たとえばコンピューター教室において利用者が電子メールを受信したとすると、そのメールの内容は、情報としてはその教室の他のコンピューターにも届く可能性があります。それが問題がないとされているのは、単にメールが破棄されているからに過ぎず、従って、その気になれば盗聴される可能性もあるのです(このようなネットワークの技術的な特徴は、通信の秘密という憲法にも明記されている重要な規範に関する再検討が必要であることを意味しています)。ここで重要なのは、そもそもその倫理的状況の理解に技術的な理解が必要であるという点です。前述のように、情報倫理は情報化社会の進展に合わせて変化する可能性のあるもので、技術的な要件が変化すれば、その要件に合わせて行動規範も変化する可能性があり、そこで情報技術に関する原理的な理解が不可欠です。しかも、厄介なことに情報技術の進展は非常に速いのです。
情報倫理とガイドラインやネチケット、マナー等との違い

 情報倫理と混同されやすいものがガイドラインやネチケット、マナーといったものです。これらと情報倫理の違いは一体どのようなところにあるでしょうか。たとえば1990年代では、「電子メールは50KB未満とし、これを超える場合は分割しなければならない」ということがよく言われていましたが、これは特に当時の環境で受け取る側がイライラせず受け取ることができる最大のメール容量かも知れません。この場合これはマナーと言えるでしょう。またはメールの受信者に関する何かしらの(主として通信設備やサーバー等の)事情を前提にしている場合は一種のガイドラインであるとも言えます。しかし、これは情報倫理であるかということには多少疑問が残ります。コンピューターやネットワーク資源を過度に利用することは慎むべきですが、倫理といった場合、それは一律に決まるものではなく、状況に応じて個々人が合理的に価値判断して決めなければならないものだからです。もちろんこれはネチケットやマナー、ガイドライン、ルールと言われるものを軽視してもよいということではありません。しかし、情報倫理とは単なるルール集ではなく、自己の中にそのルールを形成するプロセスであり、このような自己責任による自己決定こそが情報倫理とガイドラインの大きな違いなのです(なお、たとえば自己責任による自己決定の結果、海賊版ソフトウェアをネット上で販売することになっては困りますから、その自己決定が社会的に見て望ましい価値を持っているべきでもあることは論を俟ちません)。

 情報倫理について理解するためには、技術的な背景の原理的な理解が不可欠であることは前述の通りです。知らなかったでは済まないのがこの社会の基本であるため、自覚のあるなしに関わらず、無知であることは社会との摩擦を生じかねないということになります。或は単に知らなかったが故に犯罪の加害者や被害者になってしまうことすらありえるわけです。逆に言えば、このような自己決定に基づく自己責任の原則が成立するには、社会的に見て一定水準の教育が確保されている必要があるとも言えます。また、変化する社会状況に対応するため、情報収集とスキルの習得が適時適切に行なわれる必要もあるでしょう。簡単に言えば、コンピューターやネットワークを利用し続ける限り、その技術的な背景とそれが含意するものについて勉強を続けなければならないということでもあります。なお、以下で説明する注意点は、このような考え方を前提にして、理解しておくべき基本的な技術的原理と共に、コンピューターやネットワークを利用する上で注意すべきいくつかの項目を提示します。それらのうち幾つかはガイドラインであり、その幾つかはマナーやモラルの範疇に入り、また幾つかは読者の倫理的な判断を必要とするものがあるかも知れません。なお、これらの項目については、既に述べたように執筆時点で言えることばかりであって、将来においても正しいとは保証されていないことに注意が必要です。何れにせよ、情報化社会に自主的に自らの合理性をもって向かってゆくことこそが情報倫理において重要なのであり、それは誰かが押し付けるものではなく、仮に押しつけられたところで実際の活動に結びつかないでしょうから、そこには何の意味もないのです。
参考:情報倫理と倫理学の関係

 情報倫理を学術的に論じる時にその母体となる学問は当然ながら倫理学です。道徳が善悪の判断を個人に委ね、道徳の結合が倫理である時に、情報倫理は、秩序を乱さず、個人と共同体の意志行動を遵守し、社会に問いかけ、かつ評価される学術的側面を持っています。

 情報倫理は、情報の創造及び組織、普及、使用と社会の中で人間の行為を統制する倫理規範及び道徳規範の間の関係性に焦点を当てる倫理学の一分野として定義されますが、それは以下のような問題を検討する際に極めて重要な枠組みを提供します。たとえば人工的な行為者(エージェント)は道徳的であるかどうかという情報プライバシー、道徳的行為者性に関わる道徳的問題、行為者は情報通信ネットワークにおいてどのように振る舞うべきなのかという新たな環境問題、特に所有権や著作権、情報格差やデジタル著作権に関する情報のライフサイクル(生成、収集、記録、流通、廃棄など)から生じる諸問題がそれです。情報倫理学は、その意味でコンピュータ倫理のフィールド及び情報の哲学と関係があり、所有権やアクセス、プライバシー、セキュリティおよびコミュニティーと関係する問題を広く検討している学問でもあるのです。
情報倫理と現代社会の問題


メディア・リテラシー
 情報が重要な価値とされ、社会形成の中核を担う現代社会では、インターネットだけでなく、新聞やテレビ、ラジオなどの外部メディアから得た情報を適切に入手し真偽を見抜き、活用し理解及び判断する能力であるメディア・リテラシーが重要視されます。
 メディア・リテラシー(media literacy)については後で詳しく取り上げますが、それは一般に情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力のことを言い、「情報を評価・識別する能力」とも言うこともできます。もっとも「情報を処理する能力」や「情報を発信する能力」をメディア・リテラシーと呼んでいる場合もありますが、ここでは「情報を評価・識別する能力」「情報をクリティカル(批判的)に読み取る」という意味でのメディア・リテラシーを主に取り上げます。また、メディア・リテラシーで取り扱われるメディアには、公的機関やマスメディア(新聞やテレビ・ラジオ等)を始め、映画や音楽、書籍や雑誌等の出版物、インターネット、広告等様々なものがあり、口コミ(口頭やブログ等)や各種の芸術等も含まれることがあります。なお、カナダやイギリス、オーストラリアでは、カリキュラムに取り入れるよう国の政府が指定しています。また、アメリカ合衆国での扱いは州によって異なり、アメリカ合衆国以外ではメディア・リテラシーが単に「メディア教育」と呼ばれることも多いようです。


プライバシー問題
 近年のインターネット社会では、技術が進化して情報が個人レベルで容易に発信・複製・加工・編集・流通・共有できるため、無意識に加害者になり、或は間接的に被害者になるケースも多く出現し、個々のプライバシーを中心としたプライバシー権が侵害される事件が社会問題に発展しています。従って、現代社会では自他のプライバシーには特に配慮し注意する必要があります。情報技術の面では情報セキュリティ対策なども求められる。なお、情報リテラシーの面で言えば、自分が得た情報を上手く加工して正確に発信する能力も当然ながら求められることになります。


表現の自由
 情報倫理と表現の自由は一体となって問題となる場合が多くあります。すなわちその自由とは、日本国憲法で定められ認められた基本的人権のうち、思想及び良心や信教の自由とその表現の自由の問題です。しかしながら、その同じ憲法が《国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ》(第12条)として、自由に一定の制限を設けています。従って、表現の自由といえど公共の福祉に反する場合はその限りではないということになります。そんな訳で、たとえ新聞社などマスコミ各社であっても無制限の表現の自由が認められるわけではないのです。報道の自由と言えど一定の制限はあると考えなければならないのは誰の目にも明らかで、前項で挙げたプライバシーの問題に関して言えば、いくら有名人だからと言って何でも報道してよいかと言えばそうではありません。公人にも一般人と同様に基本的人権があり、当然プライバシーもあるからです。
 もっともこのような問題への配慮が求められたのは、以前はマスコミ各社だけの問題でした。しかし、昨今インターネットの発達によって一般人でも自分の考えや主張を掲示板やブログで簡単に発信できるようになりました。そのため、表現の自由とその制限(濫用の禁止)に一般人でも配慮する必要が出てきたのです。

情報倫理の統制


法律による統制
 情報倫理自体にはまだいいわゆる成文法は存在しませんが、情報化社会の秩序の維持を遵守するために法律が制定されています。情報倫理の考えから派生した法律は、著作権法や不正アクセス禁止法、個人情報保護法、行政個人情報、情報公開、刑法の電子計算機損壊等業務妨害罪及び電子計算機使用詐欺罪、知的財産権の保護といった多岐に渡る分野に反映されています。また、倫理的法律ではプライバシーの侵害や知的所有権の侵害が挙げられます。


情報倫理教育
 情報倫理教育では、道徳や倫理学というそれ自体の表現が困難なため、社会における外観的規範である習俗に置き換えて教育する傾向が強く、インターネットを手段として情報を扱う上での風俗としてのネチケットや統制として各種法律の遵守が代表例として挙げられます。なお、道徳や倫理の本質は、法律及び風俗の定義を超越するものですが、情報を扱う上での社会形成の手段として情報倫理の遵守を教育に反映する考え方が一般的で、法律及び習俗を手段とした教育は情報倫理の理解に貢献していると言えます。

マナーに配慮しよう〜無用な摩擦を回避するために〜

 法律その他で決められているわけではないものの、無用な摩擦やトラブルを回避するために知っておいた方がよいこととしてネット上のマナーについて取り上げます。まずネット上のマナーを、1対1の通信、1対多の通信、情報サービスの利用の3つに分類できます。
1対1の通信

 1対1の通信の多くは通常電子メールかチャットで行なわれますが、ここでは電子メールについて取り上げます。もっとも電子メールに限りませんが、誰かと情報をやり取りする時に注意すべきことは、「送る時は慎重に、受け取る時は寛容に」です。送る時にはマナーに忠実に、受け取る時は多少マナーや一般的な流儀から外れていても大目に見る気持ちが大切です。全体的に相手の立場になって考えるというごく常識的なコミュニケーションに関する思考方法が重要です。また、電子メールでは、まず形式的な要件を整えることが重要です。具体的には、メールを出す前にまず宛先(To)とカーボンコピー(Cc)、題名(Subject:件名や用件など呼び方は様々あります)などのヘッダ情報を重点的にチェックするようにしましょう。


宛先
 Toは宛先です。CCも同じようにメールが届くのですが、CCは参考までに送信することを意味しています。意味上の違いはありますが、同じように届くことには変わりありません。ToやCCをしっかり確認しないと、意図しないメールアドレスへ情報を送信してしまうことになりかねません。いったん自分の手を離れた電子メールは最早自分でコントロールすることはできないことをしっかりと認識して下さい。また、CCとほぼ同じ機能だがメールの受信者一覧には載らないというBCC(Blind Carbon Copy)という機能も利用することができます。多くの宛先に対して同時にメールを出したいが、全員がお互い顔見知りでない(たとえば転居を知らせるメールなど)場合などに使うとよいでしょう。

名前を名乗る
 あなたが誰であるか、メールアドレスだけでは判断できない場合が殆どです。たとえばあなたが大学生の場合で授業関連の連絡なら授業名、学部や学籍番号も書いておくとよいでしょう。また、仲のよい友だちや家族を除き、自分の通称(あだ名)を名乗りつつメールを書くのは大変失礼なことになるばあいもあります。

件名
 うっかり忘れてしまうのが、Subject(件名ないし題名)です。電子メールを1日数通しか受け取らない人ばかりではありません。数10ないし数100通のメールを受け取る人にとって、件名が適切に入力されていないメールは不親切ですし、処理が後回しになる傾向が高いようです。また、「こんにちは」とか「お願い」といった件名では殆ど意味がありません。場合によってはスパムと勘違いされてゴミ箱に捨てられてしまう可能性もあります。

メールは直ぐには読まれない
 直ぐにメールを読んで対応してくれるだろうことを期待するかのようなメールもよく見かけます。電子メールは非同期型の通信で、相手にメールが届くかどうか、また、実際に読んでくれるかどうかすら保証されていないことを理解しておく必要があります。

添付ファイル
 添付ファイルの容量の大きさは今や相対的なもので、受け取る人の環境によって上限がまちまちですが、送ろうとしているファイルが少し大きいと思ったら、まず相手に受け取れるかどうかを聞いてから送ることをオススメします。

鵜呑みにしない
 ガセネタの電子メールが国会で話題になったことがあります、現在広く利用されている電子メールシステムでは送信時に偽装できない情報は殆どありません。電子メールはハガキ程度の秘匿性や信頼性しか持ち合わせていないことを理解し、本当に重要な情報はメールでは送らないで手紙や電話にする、メールでなければならないのであれば暗号化するといったように、通信手段を適切に使い分けることが大切です。

チェーンメール
 いわゆる「不幸の手紙」のようなものがチェーンメールと呼ばれているもので、たとえば東日本大震災時にチェーンメール等の形で数多くのデマが拡散されたことも記憶に新しいところです。以前は、ねずみ算のように送信されるメールを増大させてシステムにも負荷をかけるため、チェーンメールはいけないことと言われていました。昨今はその程度の負荷よりも迷惑メールの方が余程深刻なので、負荷を気にする必要はないでしょう。チェーンメールが問題なのは、そこに書いてあることを無批判に受け入れて、深い考えもなしに転送してしまうということであるのです。

転送設定に注意
 メール転送機能を用いると、あるメールアドレスに届いたメールを他のメールアドレスに自動的に転送できます。しかし、自動転送の設定内容を間違えると、見知らぬ第3者へメールが転送されるとか、2つのメールアドレスの間でメールを転送しあっていわゆるループ状態になるなど、他人への被害を引き起こしてしまいます。ちなみにループとは、メールサーバ間でメールが転送され続ける現象を指しますが、このようなループはシステムに大きな負荷をかけるので、メールの転送設定を行なったら必ず意図した通りに転送されているか確認をしましょう。

1対多の通信

 1対多の通信では1対1で必要な配慮は全てそのまま必要です。加えて幾つか注意すべきことは、相手が多数の場合、大抵の場合そこには何かしらのルールが存在しており(それが明文化されているか不文律であるかは関係ありません)、そのルールから外れてコミュニティに参加し続けることは不可能です。メーリングリストや掲示板など様々なツールが存在しますが、何れの場合でも無用な摩擦を避けつつ参加するには、そのコミュニティのルールをよく知っておくことが重要です。

 1対多のサービスとしてよく利用されるようになったのがmixiやTwitter、FacebookといったいわゆるSNS(Social Networking Service)で、これらのサービスが現在よく利用されています。2010年以降、これらのサービスを利用している学生と思われる利用者がカンニングや窃盗、万引き、不倫、痴漢、飲酒運転といった違法行為を告白し、それがインターネット上で大きく取り上げられ、大学等に通報が行なわれるということが散見されるようになりました。また、様々なSNSを横断的に調査して、問題の行為を行なった者の実名や住所、所属などをインターネットの掲示板上に掲示するいわゆる「曝し上げ」という悪質な行為もよく行なわれています。なお、これらのサービスを利用すること自体は問題がありません。また、犯罪的な行為が許されないのは言うまでもないことですが、それをインターネット上で開陳すると、それが事実かどうかは別として、それは当面の間色々な方法で電子的に保存されてしまうということを理解しておく必要があります。つまり、コミュニケーションの対象が多数になった時点で、その対象は日本全体、あるいは世界全体であるということです。
リスク管理を心懸けよう〜被害者にならないために〜

 ネットワーク上でやり取りされる情報の経済的価値が高まり、また、ネットバンキングやクレジットカードを用いたショッピングのように直接貨幣価値を取引する機会が増えています。これに伴ってコンピューター犯罪も単なる愉快犯から金銭を目的とした犯罪へと大きくシフトしています。コンピューターやネットワークの正しい理解がないまま無自覚に利用してはなりません。

 リスク管理の第1歩は、そこにどのようなリスクがあることを知ることから始まります。この点でコンピューターやネットワークのセキュリティは広範で深い知識が必要です。コンピューターやネットワークを利用し始めたばかりの利用者にとっては、そもそもコンピューターで何ができるのかということすら分からないはずで、ここがコンピューター及びネットワークのセキュリティの難しいところです。しかし、以下で紹介するノウハウは余りコンピューターの知識がなくても直ぐに実践できることが多くあります。


オンラインプライバシーを守るための12の方法
  1. 個人情報を不用意に開示してはいけない
  2. Webブラウザのクッキー警告表示を有効にし、クッキー管理ソフトを使う
  3. クリーンな電子メールアドレスを用意しておく
  4. 見知らぬ相手や会ったばかりの友人には個人情報を公開しない
  5. ネット上にはどんな人がいるか分からないので、周囲を含め充分な注意を行なう
    1. 職場では監視されているかも知れないと考えよう
    2. メーリングリストに個人的なメールは送ってはいけない
    3. 重要なファイルは自宅のコンピューターに保存する
  6. 連絡先や個人情報と引き替えに賞金や賞品を提供するサイトに注意する
  7. いかなる理由があっても迷惑メールに返事してはいけない
  8. Webセキュリティを常に意識する
  9. 自宅のコンピューターセキュリティを常に意識する
  10. プライバシーポリシーと保証のシールを吟味する
  11. 自分の個人情報をいつ・なぜ・誰に対して公開するのかを決めるのは他ならぬ自分自身であることを忘れないようにする
  12. 暗号を使おう
〔解説〕
  •  まず最初に強調しておくべきことは、「自分の個人情報を守るのは自分自身」というごく当たり前のことです。インターネットを利用していると、様々な場面で個人情報の提供を求められます。ネット上ではサービスの提供を有償や無償で受ける際に個人情報の提供を求められるケースが殆どです。有償の場合でも、サービスの提供に不必要な個人情報を求められる場合があります。ここで考えて欲しいのは、その後の自分の個人情報の行方と、そのサービスは個人情報を提供してまで利用したいものかどうか、ということです。それを考える際に参考になるのが各社の掲げているプライバシーポリシーや保証のシール(プライバシーマーク等)です。プライバシーポリシーを設定していない企業のサービスは、どれだけ有用に見えても使うべきではありません。また、できるだけプライバシーマークやTRUSTeなど外部機関により認証を受けた会社であるかどうかを確認することも大切です。

  •  次に個人情報を考える時に重要なのは、説明責任を前提とした自己決定です。なぜその個人情報を入力する必要があるのか、そのサイト(会社) は説明しているでしょうか。たとえばショッピングサイトで住所を入力せずに購入したものを自宅に届けてもらうことは不可能です。それでは生年月日を求められた場合どう判断すべきでしょうか。たとえばそのサイトは「顧客の年齢層を考慮した商品を勧めてくれるサービスを利用できる」という説明をするかも知れません。実際のところ、そのようなマーケティング的な分析に利用されるはずですが、そのような情報を提供しても特に問題はないでしょうか? ここで問題があるかないかは自分で決めなければなりません。これは懸賞のような自分が何かしらの金銭的な支払いをしない時でも当てはまることです。自分自身の個人情報を対価として一定の確率で当選するかも知れない賞品を得ようとするのが本質であることを理解しておく必要があります。たとえ個人情報である氏名や電話番号を入力することが求められていたとしても、必ずしも正しい氏名と電話番号を入力するべきではないケースもあるかも知れません。決してWebサイトの不正な利用を勧めているわけではありませんが、しかし、前述のように個人情報として提供すべき範囲もまた利用しようとしているサイトの運営会社が決めることではなく、自分自身で決めることです。Webサイトの入力フォームに何も書き込まなければ、自分の個人情報が何らかの形で流出する危険性はかなり減ります。しかし、それだけが個人情報ではありません。たとえばどのようなサイトを閲覧したかという履歴もまた重要な個人情報となるのです。インターネット上のコンピューターにはそれぞれIPアドレスという電話番号のように世界に1つしかない番号が付与されており、どのIPアドレスからのアクセスであるかということはアクセス先に記録として残ります。

  •  また、WebブラウザにはCookieという仕組みが用意されています。Webはブラウザ(クライアント)がサイト(サーバー)に対して情報を送信するように要求し、サーバーからクライアントに情報が送られてくる(応答)ことで成り立っています。ここではブラウザは主に情報のリクエストを行ない、サーバーは専ら情報を送信します。つまり、情報はサーバーからブラウザに流れるのが主です。フォームもこのリクエストの一種なのですが、フォームさえ使わなければ情報が漏れないのかというと、そういうわけではありません。もう1つ、ブラウザからサーバーに情報が渡る道が用意されており、それがCookieなのです。要するにCookieを用いると、特定のコンピューターからのアクセスかどうかを特定することができるのです。これは厄介なことばかりではなく、IDとパスワードを利用しなくてもログイン状態になるなどの利点もあるわけです。このように便利な仕組みである一方で、Cookieの有無はプライバシー上の問題になりやすいので、きちんと管理する必要があるということです。

  •  なお、クリーンなメールアドレスとは、友人や知人にしか教えないようなメールアドレスという意味で、ショッピングに利用したりWebサイトに掲載したりするメールアドレスとは別のメールアドレスを用意しましょうということです。

  •  最後に暗号化ですが、インターネットの基本的な特徴として、特に指定しなければデーターは暗号化されない状態で流れます。盗聴するのは必ずしも容易ではありませんが、暗号化には色々な意味で利点があります。可能な限り暗号化通信を利用するよう心懸けるようにしましょう。

インターネット上の詐欺行為

 インターネットは当初は商業利用することができなかったのですが、一般に開放され、また、ショッピングなどの経済活動が活発に行われるようになって、それにつれて犯罪者も増加してきました。必要以上に恐れる必要はありませんが、高度な技術を持って真剣に、一種の仕事としてコンピューター犯罪を行なっている者がいるということはしっかりと記憶に留めておいて下さい。本項では特に詐欺行為について取り上げ解説します。
フィッシング詐欺

 fishing(魚釣り)をもじったphishingという種類の詐欺です。ちなみに固定電話に特定の周波数の音を流すことによって電話システムを操作し、たとえば無料で長距離電話をかけるというネットワーク犯罪の先祖のようなことが1950年代頃から行なわれていたようで、これをphoneとfreakを掛け合わせて作られた造語、phreakingと呼んでいました。「phishing」はこの造語を語源にしています。

 フィッシングはインターネット上において企業や組織の名前やWebサイトを偽装して利用者が入力した個人情報を盗み取ろうとする行為で、要するにユーザを騙して釣り上げてやろうという行為です。大学や企業を装い、「ユーザアカウントの有効期限が近づいていますので、登録内容の再入力をお願いします」などのメールを送信し、企業のWebサイトを装った偽のWebサイトへと利用者を誘導、個人情報などを入力させるというのが典型的な手口です。フィッシング詐欺の場合、相手は例えばYahoo!そっくりのWebサイトを用意し、そこにIDとパスワードを入力させようとします。そこで、自分がアクセスしているサイトが本当にYahoo!のものかどうかをしっかり確認することが必要です。WebブラウザーがSSLを利用していれば、暗号化と相手先の確認の両方が同時に達成することができますので、個人情報を入力させるサイトでは必ずSSLを使いましょう。逆に言えば、正しくSSLを利用していないのに、個人情報やID・パスワードの入力を求めるようなWebサイトは使うのを止めることです。フィッシング対策としては、メールで個人情報を送信しないこと、また、WebブラウザでIDやパスワードを含む個人情報を入力する際には、(1)そのURLが自分の意図しているサイトかどうか、(2)SSLにより暗号化されているか、の2点を確認するようにしましょう。
ワンクリック詐欺

 ワンクリック詐欺は、ブラウザー上で1回クリックしただけで勝手にサービスの申し込み(契約)が完了したと主張し、料金を請求してくるという詐欺で、たとえば興味本位でいかがわしい広告をクリックしたところ、突然「有料サイトに入会した」と表示されたとか、「個人を特定した」とのメッセージと共に色々な情報が表示され、怖くなったので不本意ながら請求金額を支払った、或は携帯電話からインターネットに接続し、色々なサイトを見ているうちに突然アダルト(出会い系)サイトにつながり、料金請求の画面が表示されたなどといった事例が報告されています。

 基本的な対策として、まずはいかがわしい情報が書き込まれているようなサイトは閲覧しないことが肝要です。また、不特定多数の人が書き込める掲示板などには、このような詐欺行為を行うためのWebサイトへのリンクが設置されている場合があるので、そこでリンクを無自覚にクリックするのではなく、リンク先のURLをよく見て、よく分からなければ安易にクリックするのは止めるようにしましょう。なお、実例のように「個人を特定した」としてIPアドレスやプロバイダ名が表示される場合がありますが、一般的にネットワーク管理者やプロバイダではない第3者がこれらの情報から個人を特定することはできないことも覚えておいて下さい。同様に携帯電話の機種名や個体識別番号などからも個人を特定するはできません。架空請求のWebページやメールの内容はもっともらしく書かれていますが、これを信じて支払いや返信をしないようにして下さい。もしも個人情報を入力してしまった場合や、しつこく何度も請求が来る場合は、決して料金の支払いや振込みを行なわず、まずは都道府県の警察サイバー犯罪相談窓口等に相談するようにして下さい。
インターネットオークション詐欺

 インターネットオークションは、店頭販売より安い値段で商品が購入できたり販売が終了になった商品が購入できたりと大変便利ですが、詐欺行為もまた多く行なわれています。事例としては、たとえばインターネットオークションで商品を落札後、代金を相手の指定口座に振込んだものの、その後、品物が届かず、連絡も取れなくなったとか、或は必ずしも詐欺ではないものの、数年前のグルーポンのお節事件のように、期日まで品物が届かず、やっと届いた商品の中身が偽物またはガラクタだった、などといった被害が発生しています。


出品者の身元&連絡先を必ず確認する
 名前やメールアドレス、振込口座だけではなく、住所や電話番号など相手の身元をしっかり確認します。また、被害にあった時のことを考えて銀行振込み時の控え、取引を記録したメールなどをしっかり保存しておきましょう。

エスクローサービス業者を利用する
 エスクローサービスとは、売り手と買い手の間に入り、品物と商品の受け渡し確認を行ない、取り引きの安全を確保するサービスです。大手のオークションサイトでは大概このサービスを提供していますので、なるべく利用するようにして下さい。

高額な商品やブランド品についてはオークションでの購入を避ける
 PCやオーディオ機器などの高額商品は自転車操業などの取引商品として扱われることが多いです。また、ブランド品は贋作の販売が多く行なわれています。これらの商品をオークションで購入することは余りオススメできません。

加害者にならないために〜ルールに配慮しよう〜

 無人島などで一人気ままに生きていくのでない限り、私たちは社会生活を送らなければなりません。そして、それはルールを守らなければならないことをも意味しています。
各種システムに共通した禁止行為


主な禁止行為
  • 自らのユーザID及びパスワードを貸与または販売、譲渡等により第3者に使用させる行為
  • 他の利用者のユーザID及びパスワードを不正に使用する行為
  • 他人を詐称する行為
  • システムの不正な利用またはそれを助ける行為
  • 営利を目的とした行為
  • 他の利用者や第3者の著作権その他の知的財産権を侵害する行為
  • 他の利用者や第3者を誹謗・中傷し、または名誉もしくは信用を傷つけるような行為
  • 他の利用者もしくは第3者の名誉、財産またはプライバシー等を侵害する行為
  • 詐欺等の犯罪に結びつく行為
  • その他法令及び社会慣行に反する行為、または公序良俗に反する行為

パスワードの管理

 利用者に交付されたユーザIDは、本来はその利用者のみが利用できるものです。パスワードは「他者の記憶は読み取れない」という事実に依拠した認証手段です。世界中で利用者本人のみが知っているという状態がパスワードを認証手段として利用する必要条件であり、他者に知られてはいけないものなのです。このため、パスワードは適切に管理する必要があるわけですが、そのポイントは次の通りです。


パスワードは誰にも教えてはいけない
 たとえ知人や家族などであっても、本来パスワードは教えてはいけません。また、聞いてもいけません。

パスワードは他人が見られる状態にしてはいけない
 パスワードをメモをした瞬間、他人の目に触れる可能性が生まれます。また、パスワードを入力しているところを他人に見られるのもリスクがあります。逆に他の人がパスワードを入力しようとしている時はマナーとして顔を背けましょう。

脆弱なパスワードを利用してはいけない
 8文字未満、文字種としてアルファベットの大文字や小文字、数字、記号を混ぜて使っていない、辞書に載っているような単語を使う、単純な規則の文字列を使うなどしてはいけません。
 「良いパスワード」を定義するのは非常に難しいのですが、こういった「悪いパスワード」は決して利用してはいけません。一方で良いとされるパスワードは文字種が入り交じって長いものです。これは「覚えられないパスワードを覚えろ」といっているようなものではありますが、できるだけ覚えやすくするような工夫を考えて対処するようにして下さい。なお、パスワードによる認証は様々なWebサイトで利用されており、それぞれで違うIDとパスワードを登録しなければならないことが多いのが現状です。多くのIDとパスワードを使っていると、1つずつの扱いが粗末になりがちですが、重要なIDとさほど重要でないIDとに分けて管理してもよいかも知れません。ちなみに、2009年にアメリカで大規模なパスワード流出事故が幾つかありましたが、この時流出したパスワードを解析したところ、16%がそのユーザーの名前、14%がキーボードの並び(12345678とかqwertyなど)、4%がpasswordという文字列ないしこれを少々いじったもの(passw0rdなど)、5%がポップカルチャーの関連単語(pokemonなど)やその改変、4%が身の回りで目に付いた単語(dellやappleなど)、その他iloveyouやスポーツ関連などだったという分析が為されています。また、パスワード長で最も多かったのが6文字、殆どの人は8文字以下となっています。

匿名と情報発信の責任、詐称

 著作権法上、匿名でいる権利は保障されています。自分の作成した著作物について氏名を公表するかどうかは著作者の自由に任されているということです(※匿名でもなお著作権は保護されますが、保護を受けにくくはなります)。その一方で、匿名性には幾つかの種類とレベルがあります。代表的なところでは日本国憲法第15条に規定されている秘密投票などを挙げることができますが、このようにある種の匿名性は民主主義の基礎を為すものであると考えられる重要なものでもあるわけです。インターネット上でも匿名で議論を行なうことがある程度可能であり、それが自由で忌憚のない情報の交換を可能にしている側面があります。しかし、ここで注意したいのが匿名性のレベルです。匿名であるはずのインターネット上の掲示板で殺人予告などをして逮捕されたり、或は名誉毀損で損害賠償請求されたりといったケースが後を絶たないことを考えれば、インターネットでは表面的な匿名性しか得られないことが殆どであることが分かります。また、匿名を前提とした言動は得てして無責任になりやすいこともよく見られますが、思わぬところで足をすくわれて後悔することが多いということです。逆に自覚的に真の匿名状態で発言したい場合は、それなりに準備して取り組む必要があるということでもあります。なお、他人を詐称することは匿名と異なり、どのような場合であれ一切認められませんが、これには他人のIDを剽窃してなりすますことや、他人のふりをしてネットワーク上の活動を行なうことが含まれます。


脆弱なパスワードを利用してはいけない
 「インターネットの匿名掲示板」「匿名の学校裏サイト」「匿名性の高いファイル交換システム」といった旨の説明がマスコミでよく取り上げられています。しかし、殺人予告を行なって逮捕された者は枚挙に暇がありませんし、Winny等の匿名性の高いはずのソフトウェアを利用して著作権法に違反したファイル共有をしていると、国内外からあっという間に通報を受け、刑事・民事の責任を問われることになり、この例も枚挙に暇がありません。先にも簡単に触れたようにインターネットに接続されたコンピュータにはIPアドレスと呼ばれる電話番号に相当する世界で固有の番号が割り振られており、コンピュータ同士で通信を行なう際にはこの番号が必ず利用されます(そうでなければ通信が成立しません)。そして、多くの場合で通信相手は誰と通信を行なったのかという記録(これをログと言います)を残しています。次にそのIPアドレスは誰が割り当てるかというと、大学やインターネット・サービス・プロバイダ(ISP)のような末端のユーザにインターネットへの接続サービスを提供している組織です。そのような組織は、ユーザにIPアドレスを割り当てるに当たって、誰にそのIPアドレスを割り当てたかというログを収集します。この2つの情報と問題の行為が行なわれた日時とを結びつけることで、最終的に誰が・何をしたのかということが特定できるというわけです。このようにインターネットは決して匿名性の高いシステムではないということを理解しておくことが肝要です。

著作権関連

 各種法令の中で私たちが特に注意すべきものに、著作権関連の法律があります。一般人であるからと言って著作権関連の法律を無視してよいことにはなりません。著作権(Copyright)とは、文字通り複製(copy)する権利(right)のことを言います。見方や立場によって著作権については様々なトピックスがありますが、特にここではブログや論文・レポートを書く上で注意すべき点について取り上げます。

 他人の著作物を全く利用することなく新たな作品を生み出すということは、現代においては殆ど不可能です。ただし、誰かの著作物を利用するに当たっては守らなければならないルールがあります。


ソフトウェアの違法コピー
 ソフトウェアは無償のものも有償のものもありますが、何れの場合もそのソフトウェアそのものを譲り受けるわけではなく、あくまでも利用する権利を譲り受けるのです。使用の許可(許諾)に当たっての条件を契約としてまとめたものが使用許諾契約であり、これはライセンスとも呼ばれます。契約は当事者の合意に基づいて決定されます。もっとも本人に自覚がないケースが多いので問題が起きることもあるのですが、あるソフトウェアを利用しているということは、そのソフトウェアの使用許諾契約に合意していると見なされるのです。このようなわけなので、ソフトウェアは必ずライセンス契約に従って利用する必要があるわけで、たとえば事務所や自宅のPCにソフトウェアの購入ライセンス数以上の本数のインストールを行なうとか、サークル等の活動のために、市販されているアプリケーションソフトをコピーしたCDを配布したり、友人や知人にコピーしたソフトを譲り渡す、或は著作権侵害に当たるファイル交換を行なうためにP2Pソフトウェアを使うなどといった行為は、当然ながら禁止事項となります。
 一般的に有償で販売されているソフトウェアは、1台のPCにのみインストールして利用できるという場合が殆どです。もちろんそのソフトを職場と自宅で1台ずつインストールできるという場合もありますし、或はファミリーパックという形態で3台ないし5台まで利用可能というケースも見受けられます。これは販売形態によって異なるので購入時に確認が必要です。ちなみに、2010年1月から違法コピーであるソフトウェアをダウンロードしただけで違法とされるようになりました。特に罰則はありませんが、場合によっては強制捜査の対象にもなり、また、民事責任を免れるのは難しくなったと言えます。違法コピーのソフトウェアを利用して損害賠償請求の訴訟を提起された場合、過去の判例によれば、その請求額はおおよそソフトウェアの正規小売価格の2倍程度です。

文書作成と著作権
 大学に限らず職場でもレポートや論文などで文章を作成することがあります。Webページで情報発信するということもあるでしょう。研究成果についてプレゼンテーションを行なうということも考えられます。その際、レポートや論文で他人の文章を勝手に引き写せば、それは複製ということになり、権利を侵害したことになります。Webページでそれをそのまま情報発信すれば、それは複製したことになり、Webサーバーにその文書を設置した時点で公衆送信可能化し、不特定多数に向けて配信すれば公衆送信したことになります。プレゼンテーションで他人の著作物を勝手に使うと、上演や上映を行なったということになります。

 ここで複製(転載)とは、上に述べた記事や画像データなどの著作物の全部または一部などをそのまま抜き出して利用することを言います。これらを利用するためには著作者や登録者に転載の許可を得る必要があります。もしも許可を得ずに転載した場合には著作権侵害で訴訟にすらなる可能性もあるので、注意が必要です。しかしながら、著作権は無制限に認められるのかといえばそうではなく、著作権の及ばない利用(著作権法第30条〜第47条の4)というものがあり、これらは著作権法上認められた行為であり、利用に当たって著作権者の許可は必要ありません。なお、日本の著作権法は著作権の及ばない範囲について個別具体的に列挙しているので、それぞれのケースについて著作権法をよく理解をしてから利用する必要があります。たとえば文章作成において他者の書いた文章を自分の文章の中に取り込むことは、「引用」という方式ならば認められています。ただし、引用として認められるには、その著作物を引用する必然性があることと自分の著作物と引用する著作物の主従関係が明確にされていること、引用された著作物の出典や著作者名などが明記されていること、自分の著作物と引用部分とが適切な引用記号などによって明確に区別できることと、原則として原形を保持し、改変して使用する場合はその旨を明記することなどの条件を全て満たしている必要があります。なお、「必然性がある」とは、脈絡なく引用してよいわけではないということで、引用する必然性もなしに、これは引用だと言い張れば何でも複製できることになっては困るからです。また、「自分の著作物と引用部分が明確に区別できる」とは、たとえば短い文章であれば括弧などの引用と分かる記号でくくるという方法が一般的ですし、少々長い文章であれば段落を変え、字下げをして前後の段落から少し引用文章の段落を離して引用するといった形式よく用いられてています。次に、出所の明示ですが、最後にまとめて参考文献として挙げるだけでは不十分で、それぞれの引用部分に対応して出所を明示する必要があります。つまり、文章のうちどの部分がどの文献から引用されているのかが明らかになっていなければいけないのです。なお、この表示の仕方はその分野などによって様々に異なります。次に主従関係が明確ということは、文章の質や分量から見て主役はあくまでも自分自身の書いている文章であるということです。質が意味するのは、引用された文章というのはあくまでも付随的なものでなければならず、量という意味では引用した文章の方が多かったというのでは引用とは主張しづらいと考えられます。

参考資料2:情報倫理に関する参考図書


◆参考図書2:情報倫理に関する参考図書
『インターネットの光と影〜被害者・加害者にならないための情報倫理入門〜』
情報教育学研究会情報倫理教育研究グループ・編
『インターネットの光と影 被害者・加害者にならないための情報倫理入門<Ver.4>』
北大路書房・2010年01月刊、1,890円
ケータイを含むインターネットの普及率が90%を超え,その活用法のみならず,情報モラル教育の必要性が叫ばれて久しい。本書は,情報社会の中で安心・安全に行動できるように,個人情報問題・知的所有権侵害・電子悪徳商法・有害情報・ネット犯罪といった「影の部分」に焦点をあて,最新の情報にバージョンアップ。
『情報倫理入門』
土屋俊・監修/大谷卓史・編著/江口聡他・著
『情報倫理入門』
アイ・ケイコーポレーション・2012年10月刊、2,730円
大学の情報倫理の教科書としても使えるように、なぜ情報倫理が必要なのか、倫理とは何だろうか、コンピューターとインターネットの歴史、インターネット上の情報は信頼できるのか、インターネットコミュニティー、オフラインコミュニティーとの共通性インターネットならではの特性、ユビキタス社会のプライバシー、監視社会における自由の問題、動画共有サイトにMAD動画を投稿してもよいだろうか、情報公開と機密情報、不正アクセス禁止法は情報セキュリティーを高めるか、ネットワーク管理者の倫理、情報技術者の責任、グローバル化とインターネットの13章で解説。
『インターネット社会を生きるための情報倫理 2011』
情報教育学研究会・情報倫理教育研究グループ・著
『インターネット社会を生きるための情報倫理 2011』
情報books plus!シリーズ、
実教出版・2011年02月刊、420円
情報化社会を主体的に生きていくための知識を具体例を通じて考える情報books plus!シリーズ。
フィルタリングなどの最新の情報を掲載、情報社会のしくみや特徴、インターネットの利用に必要なルールやモラルについて解説しました。著作権や携帯電話でのインターネット利用、ウイルス対策など、基本的事項から話題の項目まで網羅。理解を深めるための練習問題を適宜設けました。「マンガで考えるインターネットの諸問題」では、違法コピーや売買トラブルなどの問題を取りあげました。


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【3】情報リテラシーとその必要性〜高度正法か社会を力強く生き抜くために〜

 情報リテラシーの必要性が叫ばれて久しいですが、情報リテラシーとは具体的にはどのようなものなのでしょうか。本節では情報リテラシーの内容とその必要性について簡単ながら解説しました。情報化社会を生き抜いてゆくためにも、情報倫理と共に情報リテラシーを身につけましょう。
情報リテラシーとは?
リテラシー概念の二義性

 リテラシーとは元々「言語の読み書き能力」を意味する言葉です。「言語の読み書き能力」と言った場合、既にその概念は「自分の名前が識別できる程度の読み書き能力」から「聖書や新聞が読める程度の読み書き能力」までかなり幅があります。この点を厳密に考えると、リテラシー概念はまず(a) 「必要不可欠」という意味での消極的かつ必要条件的能力としてのリテラシー概念と、(b) 「あると望ましい」という意味での積極的かつ十分条件的能力としてのリテラシー概念の二つに区分されることになります。


必要条件的能力としてのリテラシー概念
 言語の読み書き能力を「日常の社会生活において必要な最低限の能力」として捉えた場合は、身につけていないと極端に不自由をするようなごく基本的な言語識別能力を指していますが、その場合たとえば新聞や総合誌が読めるほどの読み書き能力はそこには含まれていません。しかし、日常の社会生活において必要な最低限の能力としてさらに求められるものとしては、四則演算のレベルの簡単な計算能力です。これを加えた「読み・書き・計算」が伝統的に初等教育のカリキュラムを構成したリテラシー概念が私たちがこの世界で生きてゆく上で必要最小限の能力であると言えます。このように、リテラシー概念を「必要最小限の能力」としてミニマムに捉えたものを「必要条件的リテラシー」と呼ぶことにします。従って、伝統的なリテラシーは、産業化した近代国家における必要条件的リテラシーであり、「日常の社会生活上必要不可欠な能力」を意味する概念です。言い換えれば必要条件的リテラシーとは、「あって当然、ないと困る」という消極的意義を持った概念であると言えます。

十分条件的能力としてのリテラシー概念
 その一方で新聞や総合誌が読める程度の読み書き能力をリテラシーと考える場合には、その概念的なカテゴリーは「社会生活を送る上であると望ましい一通りの読み書き能力」であることになります。これは単に「社会生活上ないと困る」という消極的意義だけでなく、「あると望ましい」という積極的意義を含む概念です。これを「十分条件的リテラシー」と呼ぶことにします。十分条件とは、必要条件を含みながらも、必要条件以外の「余計な事柄」も含んだ概念です。読み書きに限って言えば、「文字が識別できるだけでなく、社会常識を読んで理解できる程度の十分な読み書き能力」ということになりますし、「社会生活上身につけることが望ましい一通りの能力」ということになれば、計算能力をはじめ、それ以上の色々な事柄についての素養をも包含する概念としてそれは拡大します。情報リテラシー、コンピュータ・リテラシー、メディア・リテラシーなどは主としてそのような拡大解釈の結果生まれてきた新しいリテラシー概念だと言えるでしょう。

リテラシー概念の混同
 必要条件的リテラシーと十分条件的リテラシーとは、このように概念の立脚点が明確に異なるのですが、内容的には前者が後者の部分集合となっているため、類似の概念として混同されてしまう可能性があります。すなわち、「一通りの十分な読み書き能力」が「社会生活にとって必要不可欠」という誤解が生じる可能性があるということです。すると、本当は「あると望ましい能力」であったものが、「全ての人に必要だ」と誤解され、様々な余計な事柄が「必要なもの」にされてしまうということもありえます。
 なお、情報教育論においても、情報リテラシーの涵養が必要だと主張する傾向が強いわけですが、本当の意味で「必要不可欠な、ないと困る能力」として捉えていると言うよりも、「あると望ましい一通りの十分条件的な能力」を指しているようでもあります。その中で、本当に「身につけていないと生活上多大な不利益を被る」ために必要不可欠と言えるような事柄は実際には非常に限定されてきます。従って情報リテラシーを考える場合も、全国民的な必要条件的リテラシーの内容が「読み・書き・計算」という伝統的なリテラシーを基本にしたものであることを踏まえ、それ以上のリテラシーについては必要な時に身につけることが可能ではないか、という観点をもって情報教育カリキュラムの内容を吟味し、精選してゆくべきではないでしょうか。

情報リテラシーの概念


情報リテラシー概念が適用されるフィールド
 リテラシーの概念にはそれが適用されるフィールドがあります。言語レベルの伝統的なリテラシー(識字能力)では、「同一言語集団」というフィールドの属性が自明であるため、このことがことさらに論じられる必要はなかったのですが、情報リテラシーのような新しいリテラシー概念では、情報を利用する立場によって扱う情報も扱い方も異なるため、議論や実践の前提としてリテラシー概念が適用されるフィールドを規定する必要が出てきました。従ってそのようなフィールドは、伝統的リテラシーのフィールドとは異なる属性を持った特殊な人間集団や限定された対象群を規定するはずです。
 フィールド規定をせずに「情報を活用する能力」と言った場合、広すぎて意味のない概念になってしまいます。情報教育においては「どのような情報を扱う能力の育成を目指すのか」が問題となります。社会生活の合理化を目的とした場合と生涯学習を目的とした場合、学術研究を目的とした場合、ビジネスを目的とした場合では、内容的にも教育的なアプローチの仕方も全く異なってくるはずです。単に「必要な情報を活用する」とだけ言っても、それでは具体化できない曖昧な巨大概念にしかならないからです。また、情報リテラシー概念におけるフィールドの無規定性は情報概念の曖昧性に由来する問題でもあります。しかし、最初に情報概念の特定を目指すよりも、情報利用者の立場を特定することが有効な具体的方策として考えられます。どのような立場の人々にとっての情報活用能力なのかを考えることで、そこで求められる情報活用能力がどのようなものであるかを推測することが容易になります。

情報リテラシー概念の二義性
 情報リテラシーの概念には狭義の概念と広義の概念があります。狭義のそれはコンピュータなどの情報機器を操作する能力であり、広義のそれは情報そのものを主体的に活用する能力です。狭義の情報リテラシーの場合はコンピュータなどの情報機器を中心とした見方であり、情報機器の利用を前提として、そこで得られる情報を処理する能力を指しています。一方、広義の情報リテラシーの場合はコンピュータなどの情報機器を利用するしないに関わらず、一般的な意味での情報活用能力を指しており、情報機器の利用はその一手段として位置づけられます。以後、狭義の概念を「情報機器活用能力」、広義の概念を「情報活用能力」と表記して区別します。

情報教育の基本的な在り方


情報教育の原則
 情報リテラシーとは、国家や大学、或は企業などの特定のフィールドにおいて必要または望ましいとされる「情報機器活用能力」または「情報活用能力」です。情報リテラシーの育成を目的とする教育を情報教育と呼ぶとすれば、情報教育のあり方を考える際には、1)フィールド(立場)の特定、2)「必要」「十分」の区別、3)「機器」「情報」の区別がなされなくてはなりません。この区別をしないと、情報リテラシー概念を誤解して「全ての人に必要な能力」と考え、「国家が福祉として全面的に情報教育を支援すべきだ」という発想が生まれるかも知れません。生活のために必要な基礎的能力を育成する目的であれば確かに国家が支援すべきではありますが、それは非常に限られた事柄であるはずです。情報リテラシーを無条件に「理想的・積極的な能力」として見るのでなく、「最低限必要な現実的・消極的能力」と捉えるシビアな視点が必要であり、その上で具体的な情報教育を計画・実行すべきでしょう。以上の観点から、情報教育の原則は、まず(a) 必要条件的な情報リテラシーはそれが必要とされるフィールド内教育が原則であり、次に、(b) 十分条件的な情報リテラシーは自主的な学習が原則であると考えられます。
 基本的には、特定のフィールドにおいて必要とされるリテラシーを身につけるためには、そのフィールド内で教育を受け、それ以外の十分条件的リテラシーは基本的に自己教育によって身につけるべきなのです。この場合、自己教育とは自主的な学習行為のことであり、これに対し他人から教育を受けようとすればそれに見合った対価を支払うことも当然考えられます。たとえば大学生が研究・学習のために必要な情報リテラシーを身につけるためには大学の中で情報教育が行なわれるべきでしょう。大学生にとって必要な情報リテラシーとは専門科目を学ぶ際に必要な知識と技能であり、それは大学へ入ってから専門課程に入る前までに学ばれるべき事柄です。また、企業人にとって必要な情報リテラシーとは業務の効率化に関わる知識と技能であり、それは職業教育の一環として企業内研修によって身につけられるべき事柄であります。このように情報リテラシーの概念は、それが必要とされるフィールドが規定されて初めて「必要条件的リテラシー」と考えることができるわけです。初等・中等教育の段階では、これらの技術を全て身につける必要性はありません。それよりもむしろ多くの本を読み、多くの知識を蓄える努力をした方が本当の意味での情報活用能力の育成につながるだろうと考えられます。そんな訳で、大学生や企業人にとって必要な情報リテラシーと中学生や高校生にとって必要な情報リテラシーとは同じでないのです。 たとえば高校生にとっては、時間が十分にありさえすれば、望ましい情報リテラシーを身につけるための学習も行なうに越したことはありませんが、在学期間が短い上、受験を控えて情報教育に投入できる時間は限られているのですから、情報リテラシーの概念は「これだけは最低限必要」というレベルにまで具体化してゆくことが求められます。そのような訳で、情報リテラシー概念のミニマム化志向が情報教育論における一つの基本的姿勢としてあるべきだと考えられます。


情報機器活用能力
 情報機器活用能力の代表格として挙げられるのはコンピュータ・リテラシーです。しかしながらコンピュータ・リテラシーの概念も、「全ての人にとって必要」と断定する前に、まずはリテラシー概念の二義性に立ち返って考え直さなくてはなりません。つまり、コンピュータ・リテラシーは果たして必要条件的な消極的概念か、或は十分条件的な積極的概念かを識別しなくてはならないわけです。

 「インターネットを使う能力は、今後読み・書き・計算に並ぶ国民的リテラシーとなるだろう」という見解もありますが、まだまだ多くの日本人がインターネットに依存した生活を送ってはいるわけではありません。そして、インターネットへのアクセスが不十分なために深刻な不利益を被るといった事態は、全国民的な規模ではまだ起こっていません。むしろ、インターネットに依存しすぎたために深刻な問題が数多く起こっています。従って、全ての人にとって必要なコンピュータ・リテラシー概念は現段階では成り立ちえません。コンピュータ・リテラシーが必要条件と考えられているのは一般にはビジネスのフィールドに限ってのことでしょう。また、将来的にインターネットがテレビやファクシミリや携帯電話のように普及するとすれば、インターネットの使い方は間違いなくそれらと同じくらい簡単なものになるはずです。逆にそのくらい簡単にならなければ大部分の世帯に普及することはありません。そして、簡単になれば今度は「インターネットを利用するための教育」というもの自体が成り立たなくなってきます。これは、携帯電話を利用するための教育がないのと同じ道理です。そして、テクニックよりもむしろインターネットを利用する際の倫理や法制度についての学習がより多く必要になってきます。これは、学校教育では主として社会科、特に公民科の教育課題です。このように考えると、コンピュータの利用能力を「全ての人にとって必要なリテラシー」だとする根拠は薄いということになります。リテラシーにしようと考えるのは、要はパソコンを普及させたいパソコン会社でだと言っても過言ではないかも知れません。それならば、学校や図書館にパソコンを設置する際に国家予算を全面的に投入するのではなく、米国でもそうであったようにパソコン会社に安価で導入させることが考えられます。
 しかし、その一方でコンピュータ・リテラシーを「望ましい能力」として積極的にとらえる立場もあるでしょう。情報機器に強い国民を育てるという意図を国家が持つ場合です。けれども、情報機器の使い方は必要に応じて必要な場所で学べばよいので、学校教育ではごく基本的な操作法を教えればよいでしょう。コンピュータに触れる機会を与え、関心を持たせればよいので、無理に教え込もうとすると、コンピュータのことを却って嫌いになってしまうかも知れません。なお、これも公教育で保障するよりは企業にやらせた方がよいので、企業にとっては、テレビでコマーシャルを出すよりも安くて確実な宣伝活動ができ、情報機器の普及につながるので、喜んでやるに違いありません。企業がやれば教え方も徹底的に工夫するでしょうから、学ぶ側の生徒としても学校の教師に教えられるより喜んで聞くことでしょう。そして、その方が結果として「情報機器に強い国民を育てる」ことになるのです。


情報活用能力
 情報活用能力の要は判断力です。これはそもそも豊かな知識の蓄積たる教養の産物です。たとえばKJ法やNM法などの発想法に類するものは確かに判断を助けるために有用な情報テクニックではありますが、残念ながらそれだけでは情報活用能力の要たる判断力の育成にはつながりません。ましてやインターネットの使い方を学ぶことだけでインスタントに育成されるようなものでは決してないのです。
 判断力は、ある情報に対する判断力であり、そのある情報とは常に何かに関する情報です。情報の意味内容を理解し、判断し、活用するためには、その情報が依存する主題についての豊富な知識が基本的に必要となります。結局、総合的な判断力を身につけるためには、たくさんの知識を身につけてゆく以外に手がないのです。逆に判断力は、豊富な知識を身につけてゆく過程で自然に身につけられてゆくものであるということになります。そんな訳で、手軽な情報テクニックのみをもって情報活用能力と称するのは少々危険であると言えるでしょう。幅広い知識の蓄積が情報活用能力の要たる判断力を育成するのです。そして、両者は不可分なのだから、情報テクニックや機器活用能力は、それを助ける働きをする程度のものと考えるべきなのです。情報テクニックを学んでも、それが使いこなせるだけの知識がなくては基本的には役に立ちません。また、生涯にわたる情報活用能力を身につけることにもならないでしょう。情報活用能力、生涯学習能力を身につけるためには、何よりも豊かな知識を身につけることを優先的に考えるべきでなのです。従って、知識を身につけるべき学校教育の段階で、知識教育を減らしてまでコンピュータや情報テクニックを集中的に教えようとする独立型カリキュラムの情報教育に対しては少なからぬ疑問を提示せざるを得ないのが実情です。高等教育や企業内研修においては、元々知識の蓄積がある人たちを対象にしているので、むしろ独立して教えることにも積極的な意義がありえるでしょうが、基礎知識が不十分な学習の初期段階において機器の操作法や情報テクニックのみを教えることは、実りが少ないだけでなく、むしろ情報活用能力の育成にとって有害ですらあります。そんな訳で、学校教育の場における情報教育は科目統合型カリキュラムとして行なうのが大原則であるということになります。

コンピュータ・リテラシーでなく情報リテラシーを
コンピュータ・リテラシーは重要ではない

 パソコンやネットワークが普及するにつれて、コンピュータを使える能力というものが注目されるようになってきました。これをコンピュータ・リテラシーと呼び、その必要性を訴えている人もいます。しかし、残念ながらその内容は必ずしも的を射ていませんでした。

情報リテラシーとその関連図 コンピュータ・リテラシーで重視されているのは、コンピュータを使える能力、つまり広い意味での操作方法です。この場合、代表的なアプリケーションであるワープロや表計算、電子メール、ウェブブラウザなどのソフトをきちんと使えるようになるのが目的となります。そして、この種の操作方法には1つの特徴があります。コンピュータの進歩は急速で、新しいテクノロジーが登場すると、時には操作方法が根本的に変わってしまうこともあります。また、ちょっとしたアイデアによっても操作方法が大きく変わることもあります。そのため、折角覚えたことが陳腐化しやすいのです。また、もう1つ注目すべきなのは、コンピュータが進歩すると、操作方法はどんどんと簡単になるという点です。それにより、何かを作成するのに必要な知識のうち、操作方法の占める割合は次第に低下します。その部分に焦点を当てても、折角身に付けたのに価値が下がるばかりです。なお、コンピュータ・リテラシーの一部として、簡単なプログラミングまで含まれると考える人がいるかも知れません。これも、段々とですが不要になってきています。かなり昔はBASIC言語でプログラミングしていたものが、表計算や初心者向けデータベース、プレゼンテーション、シミュレーションといったソフトの普及によりプログラミングの必要性は大きく低下したからです。まだ一部で必要性が残ってはいるものの、通常の作業ではなくても済むことが多いわけです。この傾向は今後も増加し、プログラミングの必要性は現在よりも低下することになります。そもそもコンピュータの操作方法とは、コンピュータを使ってゆく上での表面的な部分でしかありません。何を作る時でも、操作方法が大事なのではなく、作る中身が重要なのです。中身の向上には、操作方法ではなく、コンピュータ以外の知識や能力が大きく関係します。たとえばテキスト中心の書類を作成する場合でさえ、分かりやすい文章を書くためには作文技術、ページを見やすく整えるためにはレイアウト技術、見出しや脚注で内容を整える文書作成術などが必要となります。そんな時、いくらコンピュータの操作方法をマスターしても、コンピュータを上手に活かすことができないということになります。そんな状況の中、コンピュータ・リテラシーが登場した背景として、コンピュータを使うのが難しかったことが挙げられます。難しいからこそリテラシーが必要なように見えてしまうのです。コンピュータの操作は確かにまだ少しは難しいものの、その操作性は以前に比べはかなり改善されてきました。将来はもっと簡単になるはずなので、パソコンは誰もが苦労せずに使えて当たり前になります。そうなったらコンピュータ・リテラシーは殆ど不要となるわけで、なくならないにしても誰も気にしなくなるわけです。
本当に重要なのは情報リテラシー

 コンピュータ・リテラシーが不要だとしたら、情報化社会ではどんなリテラシーが必要となるのでしょうか? それは情報を上手に扱うための基本的な知識や能力を意味する「情報リテラシー」です。情報リテラシーの対象となる活動には、情報の入手や理解、評価、作成、公開などが含まれます。また、扱うデータの種類はテキストや図版、写真、動画、音や声、音楽と幅広いものがあります。これらを上手に使いこなせるようになるのが情報リテラシーの最大の目的であるのです。
参考:情報リテラシーの対象となる活動

 我々が接する情報の形態はコンピュータだけとは限りません。雑誌や新聞などの紙媒体、テレビやラジオなどの映像や音声媒体、直接話を聞く人間もそこには含まれます。それに、コンピュータ経由で得られる情報も、元々は誰かが取材して書いたとか、そこには必ずコンピュータ以外のものが介在しています。逆に紙に印刷された情報も、途中でコンピュータやネットワークを経由しています。従って、本来その情報がコンピュータで得られるかどうかは殆ど意味がないのです。このような理由から、情報リテラシーで扱う情報は本来全ての媒体を対象としています。ただし、今後の情報環境はコンピュータが中心となり、最終的には全部の情報がコンピュータ経由になるというだけなのです。その意味から言って情報リテラシーの教育では、情報そのものを上手に扱う技術を中心に置きながら、コンピュータ利用を前提としてカリキュラムを作成すべきであるということになるわけです。


情報の入手
  • 無駄な苦労をせずに目的とする情報を得る
  • 複数の情報源のうち適切なものを選ぶ

情報の理解と評価
  • 根拠として提示されている事実を自分で確かめる
  • 書いてある説明が論理的で科学的かどうか評価しながら読む
  • 異なる意見の中から最良なものを選ぶ

情報の理解と評価
  • 事実をきちんと調査したり適切な方法で正しく実験する
  • 論理的かつ分かりやすい形で情報を作成する(ワープロなど)
  • 情報を加工し、評価しやすい形に整える(表計算など)
  • 情報を標準化やコード化して使いやすく整える(データベース)
  • 正確かつ効率的に仲間と情報交換する(電子メール)

情報の公開
  • ネットワーク上で広く公開する
  • 多くの人の前で発表する
  • 少人数を相手に説明する

メディア・リテラシーでは不十分

 放送などのメディアに関する基本的な能力を「メディア・リテラシー」と呼び、その必要性が叫ばれていますが、実はこれも情報リテラシーの一部です。メディア・リテラシーの方は、メディアが提供する情報の特徴を知って、それに対する適切な理解を重視していると言えます。それに対して情報リテラシーの方は、情報に関わる全部の活動を網羅し、情報の上手な作成から公開まで、そして仲間との情報交換をも含んでいます。従って、情報リテラシーがあればメディア・リテラシーを唱える必要はないということにもなるわけです。これからの時代は、インターネットの普及により誰もが発信者になれる時代です。受け手側の立場を中心としたメディア・リテラシーよりも、送り手と受け手の両方の能力を身に付ける情報リテラシーの方が断然時代に合っていると言えます。そんな訳で、情報リテラシーをきちんと教育すれば情報の上手な作り方をマスターできるということになります。そのレベルを現在のメディアに照らし合わせると、いかに下手かが明らかになるはずです。現在の新聞や雑誌は論理的ないし科学的な面でレベルが低すぎますが、それを教えるだけでなく直させることも情報リテラシー教育の役割であるのです。従って、情報リテラシーを多くの人が身に付ければメディアが提供する情報の質もかなり良くなるはずです。しかし、残念ながらメディア・リテラシーはその部分を含んではいないのが実情です。
情報リテラシーは情報化時代に必須

 以上見てきたように、コンピュータ・リテラシーは陳腐化しやすく、また、メディア・リテラシーではまだ不十分です。それらに比べて、情報リテラシーは対象が広く、普遍的であるということになります。対象がどんなメディアやツールに変わろうとも、情報を上手に扱う方法は変化が小さいので、一度身につけてしまえばその能力が以後ずっと役立つからです。また、論理的で分かりやすい情報は、情報が中心となる時代には必須の条件でもあります。分かりにくい情報が増えると、質問などで無駄なやり取りが発生します。さらには誤解によって大きな問題へと発展しやすいということもあるでしょう。その意味から、情報リテラシーは情報化時代に必須であり、インフラの一部とも言えるのです。

 情報リテラシーの必要性はこのように既にかなり大きくなっています。ところが、日本では具体的な対策の方はまだまださっぱりです。その点に気づいている人がまだ少ないのかも知れません。コンピュータ・リテラシーばかりに気を取られていると、パソコンは何とか操作できるものの、情報を上手に作れない人が増えてしまいます。当分の間は、読んでもよく分からない情報(なぜか役人が作成する書類に多い)が数多く作り出され、作り手だけでなく読み手も無駄な時間を消費するしかないでしょう。そうなりたくない人は、個人的な努力で情報リテラシーを身につける以外ないのかも知れません。
参考資料3:情報リテラシーに関する参考図書


◆参考図書3:情報リテラシーに関する参考図書
『よくわかる情報リテラシー:標準教科書』技術評論社
岡本敏雄・監修/安齊公士他・著
『よくわかる情報リテラシー:標準教科書』
技術評論社・2013年01月刊、1,554円
高校の「情報」以降を担う教科書です。大学や専門学校、社会人にもおすすめできます。教育システム情報学会会長、岡本敏雄(電気通信大学)教授を中心に10人の各先生方が各章を執筆します。本書では、情報の基本はもちろん、しくみ、使われ方、ツイッターやブログ、クラウドなど最新のサービスにも触れています。入門書として最適です。
『よくわかる最新情報セキュリティの基本と仕組み』
相戸浩志・著
『よくわかる最新情報セキュリティの基本と仕組み―基礎から学ぶセキュリティリテラシー 第3版』
秀和システム・2010年04月刊、1,890円
情報資産を守る技術と対策、法制度を豊富なイラストで解説した情報セキュリティ技術の入門書です。ネットワークやIT業務関係者、情報セキュリティスペシャリスト受験者だけでなく、すべてのビジネスパーソン向けに情報セキュリティの基礎知識を図解でわかりやすく解説しています。本書は、情報セキュリティに関する技術解説はもちろんのこと、実践的なノウハウやマネジメント手法、各種セキュリティ標準、セキュリティポリシー策定、情報セキュリティの国際標準と法規まで幅広く紹介。SQLインジェクションやフィッシング詐欺、Gumblarウィルスなど、最新トピックスも満載です。
『図書館活用術―情報リテラシーを身につけるために』
藤田節子・著
『図書館活用術―情報リテラシーを身につけるために 新訂第3版』
日外アソシエーツ・2011年10月刊、2,940円
インターネット社会では、あふれる情報から求める内容を探索・理解・判断・発信する「情報リテラシー」能力がポイント。情報リテラシー獲得のための図書館の利用・活用法を徹底ガイド。豊富な図・表・写真を掲載、読者の理解をサポートする。


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