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 紅茶は香りを楽しみリラックスできるティータイムに最高に相応しい飲み物です。今回は毎日の生活に欠かせなくなったその紅茶の歴史を中心に、紅茶の種類と効用、その美味しい淹れ方につて解説しました。
紅茶


紅茶
【1】紅茶の種類とその効能
【2】紅茶を美味しく淹れるには?
【3】紅茶の文化とその歴史


【1】

 紅茶と言っても、その茶葉により様々な種類があります。本節では、紅茶の種類とその効能を取り上げ解説しました。
紅茶とは?

 紅茶は香りを楽しみリラックスできるティータイムに最高に相応しい飲み物です。

 それでは、紅茶はどのような葉から出来るのでしょうか? 紅茶の木があるのでしょうか? いいえ、意外かも知れませんが、紅茶は実は日本人が親しんでいる緑茶と同じお茶の葉から出来ているのです。お茶の葉を発酵させずに乾燥した物が緑茶、発酵させた物が紅茶になるのです。
紅茶の種類


■世界3大紅茶
種類 原産地 特徴
ダージリン インド 赤味の薄いオレンジ色。マスカットのような香りと渋味がある。
ウバ スリランカ 濃い茶褐色。甘みが強い。
キーモン 中国 黄味の強いオレンジ色。花に似た香りがする。
■その他有名な茶葉の種類
種類 原産地 特徴
アッサム インド 濃い茶褐色。甘みとコクが強い。ミルクティに向いている。
アールグレイ 中国他 濃いオレンジのフレーバーティ。レモンやオレンジに似た香り。
ニルギリ インド 濃いオレンジ色。スッキリした味わい。
ウヴァ セイロン島 赤味の強い褐色。濃い味わい。ミルクティに向く。
ジャワ ジャワ島 明るいオレンジ。濃い味わい。アイスティ向き。

紅茶の成分

 お茶はその始まりの時から薬用効果が認められて貴重な薬として使われ、その効果が伝えられ、現在のように広く飲まれるようになりました。このお茶を薬として珍重したのは中国、日本だけでなく、ヨーロッパ諸国でも「東洋の神秘薬」として愛飲されてきました。1960年にロンドンのトーマス・ギャラウェイのコーヒーハウスの店で紅茶が販売された時のパンフレットでは、30項目、100種類近い病気に効く特効薬として宣伝されていたほどです。このように、万病に効くとまで言われている紅茶の薬効がどのようなものか、紅茶に含まれる成分とその効用を以下で紹介します。
ポリフェノール:渋み成分

 紅茶には渋みを表すカテキン(タンニンの一種)と紅茶の色を表わすテアフラビン、テアルビジンなどから形成されており、これを総称してポリフェノールと言います。


カテキン類
 カテキン類は渋みの主成分で、単一の物質ではなく6種類が知られており、一般に12〜20%ほど含まれています。これが紅茶の薬効だけでなく、風味を作る上で大きく関わって来ます。また、様々な物質と結合しやすく変化しやすいのが特徴で、カテキン類が酸化酵素で酸化されると、きれいな赤色を表わし、いわゆる紅茶色となります。豊かな香り、カップに注いだ時の鮮紅色、そして様々な薬効に対して中心的に働いている物質、それがカテキンです。

テアフラビンとテアルジン
 紅茶はカップの内側に黄金色のリングができて鮮紅色をしているものがよいとされています。この鮮紅色がテアフラビンと言われていますが、テアルビジンという成分も紅茶の色として大切なものです。

テアフラビンとテアルジンの薬効
 カテキン類と共に様々な薬効があり、身体に吸収されると次のような有効作用を発揮します。
  • 血中コレステロールを減少させ、動脈硬化の予防に役立つ
  • 過酸化物質の生成を抑える働きがあるため老化防止によく効く
  • 癌細胞の増殖を抑制する作用もある
  • 風邪のウィルスを抑えるための予防及び治療に効果的
  • 脳卒中などを予防する働きがある
  • 下痢止めに効果的
  • エイズの予防にも効果があると言われる

カフェイン:苦味成分

 カフェインは紅茶には2.5〜5%含まれており、水及びアルコール、エーテルなどの溶媒や熱湯によく溶けます。マイルドな苦味があり、これが紅茶の特徴を作っています。なお、アイスティーを作る時や紅茶が冷たくなった時に白く濁ることがありますが、これはクリームダウンという現象で、カフェインとカテキン類が低温によって析出して結合したために起こるもので、品質のよい紅茶(ミルクティーに良く合う紅茶)ほど起こりやすいと言われています。


コーヒーと紅茶:カフェイン含有量
 コーヒーと紅茶のカフェイン含有量を比較してみると、焙煎前のコーヒーの生豆と紅茶の生葉とでは、紅茶の方が2倍以上もカフェインを含んでいますが、コーヒーは生豆を焙煎して飲める状態にし、紅茶は完全発酵させて製品となったものをそれぞれ抽出し、カップに注いで比べてると、今度は比率が逆転して、紅茶の抽出液のカフェイン含有量はコーヒーの半分に低下してしまいます。この不思議な逆転は、それぞれの製造工程に起因しているのです。というのは、コーヒーは焙煎される時に豆の細胞が破壊されるため抽出する際にカフェインの溶け出す量が多くなるのに対して、紅茶は発酵させて作る紅茶はコーヒーほど葉の細胞に損傷を受けないため、溶け出すカフェインの量も適度に抑えられるのです。さらに紅茶の場合、カテキン類やアミノ酸の相乗的な働きでカフェインが中和され、胃への刺激が緩和されることも分かっています。また、コーヒーはカップ一杯当たりで約10〜12g、紅茶は約3gと言ったように、使用する量でも紅茶の方がカフェイン量は少なくなります。

カフェインの有効作用
  • 利尿作用及び発汗作用を活発にして体内の老廃物の排出を促す
  • 心臓の機能を高め、体内の血液循環や新陳代謝を活発にする
  • 大脳の中枢神経を刺激し、思考力の向上に役立つ
  • 疲労回復に効果がある
  • 筋肉収縮の力を高める作用がある

ビタミン・アミノ酸・無機成分:甘み&旨み成分

 カフェイン及びカテキン類以外の成分では、疲労回復に役立つビタミンB群、甘みと旨み成分のアミノ酸の働きもあります。ビタミンB群の中ではナイアシンの含有量が多く、脂溶性のものではカロチンとビタミンEが多く含まれています。無機成分は5%ほどで、カリウムとリン酸が主成分です。また、私たちの身体に必要な微量元素と考えられているマンガンや銅、亜鉛、ニッケルなどの他、ヨウ素やフッ素も含まれています。特にフッ素はお茶の種類であるツバキ科の植物に多く含まれています。
紅茶の効能
抗酸化物質が豊富であることを発見!

 基本的には嗜好品として飲まれる紅茶ですが、実は本当に健康によい物質が含まれていることが知られるようになりました。特に最近注目を集めているのが抗酸化作用で、紅茶は活性酸素を除去する抗酸化作用のあるフラボノイドが最も豊富な飲料のひとつであり、心筋梗塞の発症率を下げる、血管を強くするなどといった予防効果が相次いで分かってきたのです。また、1杯の紅茶が、特定の活性酸素に対してはンニクやブロッコリー、ニンジン、芽キャベツ1食分よりも高い抗酸化作用を発揮するとも言われています。ちなみに、フラボノイドはポリフェノールの一種で、紅茶や緑茶の他、リンゴやタマネギなどの食物中にある植物性成分です。紅茶に含まれるポリフェノールはカテキン及びテアルビジン、テアフラビンなどで、紅茶特有の色や風味のもとにもなっています。
抗酸化作用を発揮する紅茶の飲み方

 ストレス社会の現代、抗酸化作用を持つ紅茶はぜひ毎日飲み続けてゆきたい飲料と言えます。その目安としては1日2〜3杯。ビタミンC及びE、カロテン(ビタミンA)、、また、主要ミネラルの一種であるセレンなども抗酸化物質です、これらを含む食品と共に摂取するとより強い効果を発揮するのです。従って、野菜や果物、バターや牛乳、卵と一緒に紅茶を飲む習慣は、まさに健康を保つための理に適った食生活と言えるでしょう。ただし、カロリーや糖分などが過剰摂取にならないように気をつけよう。
紅茶の効能


脳卒中予防・血圧上昇を抑える
 血圧は健康のバロメーターとしてよく測定されます。特に私たち日本人の食生活は塩分を多く摂りがちであるためら高血圧になりやすく、これが原因で起こる病気に罹りやすいものです。動物実験によれば、ハツカネズミを通常のエサで飼育した場合と茶カテキンを用いて飼育した場合とでは、脳卒中による死亡が2週間も遅延する結果が報告されています。

癌を抑制する
 癌についてはまだ詳しいことは明らかになっていませんが、その80%は食生活などの生活環境によるものと考えられています。実際、健康を意識した食事をすることによって癌の発生が予防または減少したという報告もされています。癌細胞は血液中を移動して別の組織の血管の内側に接着し、そこで増殖(転移)しますが、それに対して、紅茶の主な成分であるポリフェノールは癌細胞が別の血管に接着するのを著しく阻害することが動物実験で分かってきました。

動脈硬化の進行を抑える
 軽い切り傷であれば、放っておいてもやがて出血は止まり、傷口は塞がります。これは血液中の血小板が出血の起こっている患部に凝集して血液を固めてくれるからです。このように血小板は私たちの身体にとって重要な働きをしています。ところが、私たちの身体に有効であるはずの血小板の凝集作用が必要以上に増進すると、今度は逆に病気を引き起こすことになります。血管内で血液が固まって血栓が出来、血液の循環を妨げてしまうのです。血栓が脳や心臓の動脈内に出来れば脳梗塞や心筋梗塞といった恐ろしい症状につながります。この血栓が出来る主な原因として動脈硬化の進行が挙げられますが、動脈硬化とは簡単に言えば血管の老化現象です。血管内にコレステロールや脂肪、カルシウムなどが沈着して血管壁が硬く、内腔が狭くなる状態を言います。これが進むと血小板の凝集作用が高まって血栓が出来やすい状態になってしまいます。その血栓の予防に紅茶が有効であるという実験報告があるのです。たとえば長年に渡ってお茶や野菜、果物などを始めとする食品の血小板の凝集抑制作用を調べた結果、紅茶と緑茶に効果のあるものが多く、中でもセイロン(スリランカ)産及びケニヤ産、アッサム産の紅茶に比較的効果が強く認められたそうです。また、別のある実験によれば、お茶のカテキン類(渋み成分)が血中コレステロールに対してどのような影響を及ぼすかの実験の結果、カテキン類が食事により増加する過剰な悪玉コレステロールを抑える作用があること分かってきたそうです。その他、血栓の予防にもかなりの効果を持つものと期待されています。

食中毒の解消
 細菌性の食中毒には感染型と毒素型の2種類に大別することができます。感染型とは、食べ物と一緒に取り込まれた菌がその後体内で繁殖するもので、これに対して毒素型とは、細菌自体が産出した毒素を食べた場合に起こる食中毒です。何れにしても症状が重い場合は生命を脅かす危険なものとなります。紅茶には殺菌作用があり、食中毒の症状を和らげるのに有効な作用を持っていることも分かってきました。以前流行した大腸菌O-157による食中毒も紅茶の殺菌作用で著しい効果があったと言います。

インフルエンザの感染を阻止する
 風邪は万病の源と言われます。が風邪と油断して放っておくと重い病気を誘発することになりかねません。そこで注目されるのが紅茶の薬効です。紅茶には風邪の大御所であるインフルエンザのウィルスの活動と増殖を抑える働きがあることが知られています。これは紅茶の中に含まれるテアフラビンの働きによるもので、A型、B型などウィルスの種類に関係なく有効に作用し、即効性があります。また、細胞がウィルスに感染してしまってもその増殖を抑える働きもあります(※ただし、紅茶にミルクを加えるとテアフラビンがミルクの蛋白質と結びついて、この作用は弱まってしまいます)。また、紅茶の抗ウィルス作用を市販のうがい薬と比較したところ、予想以上に紅茶の方に効果があることが分かったそうです。出涸らしの紅茶で充分効果があるので、特にインフルエンザが流行する冬場は、外出前や外から帰ったら後に紅茶のうがいを毎回する習慣をつけるとよいでしょう。

アレルギー予防にも効果
 花粉症をはじめアレルギー性鼻炎、気管支喘息などアレルギー疾患の症状を和らげたり予防したりするのに紅茶が大変有効であることが知られています。アレルギー疾患は体内に異物(抗原)が侵入するとリンパ球がそれに反応し、抗体を生み出します。そこに再び抗原が入ってくると、細胞内に様々な抗原抗体反応が起こり、クシャミや鼻水、頭痛、痒みなどの症状が現われるのです。ある実験でアレルギー反応に深く関与する抗体を持ったネズミに紅茶や緑茶、ウーロン茶を与えたところ、どのお茶にもアレルギーを約50%抑える効果が認められたそうです。アレルギーには花粉症などの即時型アレルギーとアトピー性皮膚炎のような遅延型アレルギーとがありますが、そのどちらのタイプにも明らかな効果があったということになります。

筋肉を刺激して運動能力を高める
 紅茶にはカフェインが含まれています。カフェインは筋肉刺激剤とも言われ、その力により通常では発揮できないパワーを生み出すことも可能です。カフェインは中枢神経に作用し、特に知能的な要素や精神的な精密さと関連する競技に深い関係があることが分かっています。つまり、短距離走より走り高跳びのような競技の方がその効果が顕著に現われます。長距離走やクロスカントリー、サイクリングなど持久力を必要とする競技に有効です。中枢神経の興奮によって現われる疲労をカフェインが抑えてくれるのです。また、カフェインは脂肪の燃焼を促進させる作用が働きますし、眠気を覚ます効果もあります。

虫歯予防に効果的
 甘いお菓子やケーキに紅茶はとてもよく合います。お菓子を食べすぎると虫歯になるのではと心配してしまいますが、紅茶にはフッ素が含まれています。フッ素はハミガキ粉の主成分です。つまり、虫歯予防の働きを持っていると言えますので、紅茶の脂肪の燃焼を促進させる効果を併せ考えればあまり太る心配もなく安心して食べられます。

目の疲れを取る
 紅茶の抽出液を瞼に塗ると目の疲れを解消してくれます。これは紅茶に含まれるビタミン類やカテキン類が目の皮膚に浸透して有効に作用するからです。

精神的にリラックスさせてくれる
 紅茶を飲む前と飲んだ後で精神的に違いがあるかどうか脳波を調べた実験によると、紅茶を飲んだ後の方が精神的にリラックスしていることが分かりました。しかも紅茶の香りを嗅いだ時点で既にリラックス効果が現われていることが分かったそうです。紅茶にはリラックス効果がありますので、ストレスを解消してくれます。また、慢性疲労を感じる方にもオススメです。

自然に無理なくダイエットできる
 カフェインには脂肪の燃焼を促す働きがありますが、カフェインを含む紅茶にもダイエット効果があるのではないかと思われますが、実際ラットを使った実験でそれが立証されています。その実験によると、ラットを、(A)通常のエサと水を与えたラット群と、(B)通常のエサと紅茶を与えたラット群とに分けて1年間飼育し、それぞれの体重の増減を比較したところ、水ではなく紅茶を与えたラット群の方が体重の増え方が2割も少なかったそうです。このとき同時に脂肪の付き方を比較してみると、水を与えたラット群は肝臓のまわりにたくさんの脂肪が沈着していましたが、紅茶を与えたラット群は全くそれが認められなかったと言います。また、血液中の中性脂肪の値を見ると、水を与えたラット群の方が遙かに高いことが分かりました。このような結果から紅茶のダイエット効果はほぼ間違いないと言えるでしょう。ただし、ダイエットする場合、砂糖を入れて飲むのは禁物です。砂糖の方がカフェインより早く体内に吸収されますので、作用も砂糖の方が先に出てしまうからです。なお、ミルクは影響ありませんが、紅茶でダイエットをするなら出来るだけストレートティーを飲むようにしたいものです。

参考:紅茶の変わった利用法

 これまで紅茶を飲むことでより健康になれることを述べてきましたが、紅茶には飲むだけでなく、他にも日常生活に役立つ意外な利用法があります。


髪や布を染める
 紅茶には染色力があります。Tシャツやカーテンなどを褐色に染めてみるのも面白いものです。また、髪を染めてみるのも一案です。市販の洗髪料と併用します。洗髪料で髪を染めた後、冷めた紅茶で濯ぐだけでとてもきれいな黒褐色の髪に仕上がります。

魚の臭いを取る
 魚を調理すると、どうしても魚臭さが残ります。水で洗っても中々消えません。こんな時は紅茶の葉で手を擦ると驚くほど臭いが消えます。また、魚を焼いた後の電子レンジやオーブン、網なども紅茶液を染み込ませた布で拭くと、簡単に臭いを取り除くことができます。

冷蔵庫の臭いを取る
 紅茶の葉を布やガーゼに包んで冷蔵庫に入れておくと、冷蔵庫の嫌な臭いを取り除くことができます。

スポーツドリンクに最適
 マラソンのように持久力が勝負のスポーツはかなりのエネルギーが必要です。人間のエネルギー源は体内の脂肪とグリコーゲンで、通常は脂肪より先にグリコーゲンが消費されます。しかし、パワーを維持するためにはグリコーゲンは体内に残しておきたい物質です。ところが、運動前にカフェインを摂ると、体内にグリコーゲンを蓄えたまま脂肪から先に燃焼することが分かりました。

参考:紅茶についての参考サイトと参考図書


■参考サイト1:
ホントはみんなわかっていない。こんなに多い、紅茶の種類。
-
本の面白さを伝えるニュース「ビーカイブ」
http://b-chive.com/in-fact-no-one-know-the-kinds-of-tea/

◆参考図書1
磯淵猛『一杯の紅茶の世界史』文春新書
磯淵猛・著
『一杯の紅茶の世界史』
文春新書、文藝春秋・2005年08月刊、714円
かつてヨーロッパ人にとって中国の不思議な飲み物は、神秘の薬・王侯貴族のステイタスであった。英国人はやがてその茶に二つの種類があることを知る。一つは緑茶、一つはもっと深い色で、見も知らぬ南国のフルーツの香りがした。この茶を求めて、英国は国家経済を揺るがせ、戦争を起こし、ついには世界をまたぐ帝国を築いてゆく…。紅茶誕生の数奇なドラマと、その影の知られざるアジアの真実を追って各地に取材した、紅茶ファン必読の一冊。
磯淵猛『紅茶の教科書』新星出版社
磯淵猛・著
『紅茶の教科書 改訂第2版』
新星出版社・ 2012年04月刊、1,575円
紅茶の第一人者である著者自らがテイスティングする茶葉のカタログ、こだわりの茶器など、紅茶の歴史から基礎知識まで紅茶の楽しみ方のすべてがこの1冊に凝縮。著者が世界の茶の産地に赴き撮影してきた、茶園の生写真とともに語られる解説は、臨場感のある信頼できる内容。また、20枚の歴史的絵でつづる紅茶史の章は貴重な内容。一部内容をグレードアップし、カバーデザインを一新した改訂版。


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【2】紅茶を美味しく淹れるには?

 美味しく紅茶を淹れるには、沸かしたての新鮮な軟水を使い、温度を下げることなく茶葉をしっかりと蒸らすことが大切だと言います。本節では、美味しく紅茶を淹れるためのノウハウを簡単ながら以下で紹介します。
紅茶を美味しく入れるコツ

 紅茶は香りが命です。香りを保つ入れ方、香りを邪魔しない入れ方が大切になります。


水は水道水で
 日本の水道水は軟水で無臭なので紅茶を入れるのにはピッタリです。ただ、カルキ臭は紅茶の香りを邪魔するので浄水器を通した方がよいことはもちろんです。

ポットを温める
 ティーポットにお湯を入れてポットを温めます。その間に紅茶の分量分のお湯を沸かします(※1杯分160cc〜170ccくらい)。

茶葉を入れる
 お湯が沸騰したらティーポットの温め用のお湯を捨てて茶葉を入れます(※1人分ティースプーン山盛り1杯くらい)。

カップに注ぐ
 茶葉がいったんお湯に浮かび上がってから沈んだら、素早くカップに注ぎます。

注意:
 お茶は沸かしたての新鮮な水で注ぐのがベストです。沸かして時間が経った水や湯沸しポットのお湯はあまりオススメしません。

紅茶の淹れ方のゴールデンルール〜完璧な紅茶のいれ方10か条〜

 紅茶を美味しく淹れるために昔から伝えられてきた方法としてゴールデンルールがあります。このゴールデンルールを科学的に実証したのが2003年6月24日に英国王立化学協会が発表した「一杯の完璧な紅茶の淹れ方10か条」です。以下で、現代版ゴールデンルールとも言える10か条を紹介します(※なお、このとき使用された茶葉はアッサム紅茶のOPです)。


●1)  新鮮な軟水をヤカンに入れ、火にかける。
●2)  水が沸騰するのを待つ間、1/4カップの水を入れた陶磁器製のティーポットを電子レンジで約1分間加熱して温めておく。
●3)  沸騰するのと同時に電子レンジで加熱したティーポットの水を捨てる。
●4)  カップ1杯につきティースプーン1杯の割合でティーポットへ茶葉を入れる。
●5)  ティーポットを沸騰しているヤカンまで持ってゆき、茶葉の上に勢いよく湯を注ぐ。
●6)  3分間蒸らす。
●7)  ティーカップは陶器製のもの、もしくは自分ののお気に入りのものを使う。
●8)  ミルクは初めに冷たいままカップに注ぎ、続けて紅茶を美味しそうな色合いになるまで注ぐ。
●9)  最後に砂糖を加えて味わいを出す。
●10)  60〜65℃の温度で飲む。(※これ以上熱くなると飲みにくく、啜りながら飲むことになり、下品な音を出しかねない。)

アイスティーの美味しい淹れ方



 美味しいアイスティーを淹れるには、使うリーフ選びもポイントの一つです。インド産ならアッサムやニルギリ、スリランカ産ではディンブラやセイロンブレンドがアイスにしても紅茶の味がしっかりしていて美味しく淹れられるようです。また、アールグレイもアイスに向いていて、スッキリとした味わいと独特の芳香が出て素晴らしい味わいになります。なお、アイスティーの作り方には幾つかの方法がありますが、その中でも直ぐに淹れて手軽に飲め、紅茶の味がしっかりと出るオンザロック法を紹介します。
アイスティー


■アイスティーをおいしく入れるポイント
 冷たくて美味しいアイスティーを淹れるためにまず用意するのは氷です。まずは2杯分でグラス2個分いっぱいになるくらいの氷を用意しましょう。なお、アイスティーの基本的な入れ方は、ホットの場合と同じで、まずヤカンで湯を沸かすところから始まります。また、アイスティーは砂糖かガムシロップを入れる場合が多いですし、作る時に砂糖を入れるとクリームダウンを軽減できます。(※下記の手順では1回で2杯〜2杯半分の量で入れることを前提に解説しています。)
1)新鮮な水で湯を沸かす
 まずヤカンでお湯を沸かします。これは通常のホットで入れる時と同じで、完全に沸騰するまで沸かしましょう。なお、完全に沸騰するちょっと前にポットを温めておくのもホットで入れる時と同じです。
2)砂糖と一緒に入れる
 ここからの手順が、ホットで淹れる時とちょっと違います。まずお湯150ccくらい、リーフ5グラムくらいをポットで入れます。ホットの場合の半分くらいの湯量で、ちょっと濃いめに入れるのがポイントです。なお、このとき砂糖を10グラムぐらい一緒に入れるとクリームダウンはかなり軽減できます。
3)氷を入れたグラスに注ぐ
 グラスに7分目ほどまで氷を入れておきます。3分ほど蒸した紅茶を一気にグラスに入れて適量の氷を追加します。ミルクティーで飲む場合は冷たいミルクを適量足せばOKです。なお、口当たりがよいので、このとき薄めの牛乳を使うのもよいでしょう。

参考:紅茶につての参考図書


◆参考図書2
堀江敏樹『紅茶の本 決定版』南船北馬舎
堀江敏樹・著
『紅茶の本 決定版』
南船北馬舎・2006年07月刊、1,575円
日本の紅茶事情、世界の紅茶事情、原産国案内、商品学、道具立てから、おいしい紅茶の入れ方・楽しみ方まで。紅茶の本質的な魅力をわかりやすく楽しく解説した、紅茶入門の決定版。
Cha Tea紅茶教室・監修『紅茶のすべてがわかる事典』ナツメ社
Cha Tea紅茶教室・監修
『紅茶のすべてがわかる事典』
ナツメ社・2008年12月刊、1,575円
茶葉の基礎知識から、プロが教えるおいしい淹れ方、ティーフードのレシピまでわかりやすく解説。春夏秋冬、季節にあわせて楽しめる80種類のバリエーションティー・レシピ。産地、茶葉の種類・ブランド、おいしい淹れ方などの基礎知識から、茶葉のブレンド、紅茶を使った料理まで、あらゆる情報を網羅。
日本ティーインストラクター会『紅茶をもっと楽しむ12カ月』講談社
日本紅茶協会・監修、
日本ティーインストラクター会・編著
『ティーインストラクターおすすめの
紅茶をもっと楽しむ12カ月』
講談社・2005年10月刊、1,600円
旬の紅茶を一年12ヵ月楽しむティーライフダージリン、アッサム、ウバ…25種の茶葉を紹介。バリエーションティー、合わせるスイーツやフーズ、産地情報など1冊丸ごとインストラクター手作りの紅茶の本。


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【3】紅茶の文化とその歴史

 現在世界中で多くの人々に愛飲されている紅茶ですが、このように認知されるまでには長い歴史が秘められています。また、紅茶をより美味しく飲むための様々な工夫も各国様々なものがあります。
 そこで本節では、以下でそのような紅茶の歴史と文化を紐解いてみます。
11月1日は紅茶の日!

 毎年11月1日は「紅茶の日」です。1983年(昭和58年)に日本紅茶協会により定められました。その由来は、1791年(寛政3年)の11月1日に伊勢の国(現 三重県)出身の船頭・大黒屋光太夫という人がロシアの女帝エカテリーナ2世のお茶会に招かれ、日本人として初めて本格的な紅茶を飲んだという逸話から来ています。しかし、なぜ日本人の船頭が遠く離れたロシア皇帝のお茶会に招かれることになったのでしょうか? その裏には大黒屋光太夫の波乱に富んだ人生が隠されています。

 時は江戸時代。1782年(天明2年)12月9日、伊勢の国の白子港(現 三重県鈴鹿市)から廻船・神昌丸が出港しました。船頭は井上靖の小説『おろしや国酔夢譚』の主人公としても知られる大黒屋光太夫(1751-1828)。船員は総勢17名、米や木綿などを積み江戸に向かいました。しかし、出港から4日後、神昌丸は遠州灘で嵐に見舞われて遭難してしまいます。光太夫らは約7ヶ月もの間漂流を続け、漸くロシア領アレウト(現アリューシャン)列島の小さな島アムチトカに上陸します。厳しい寒さの中、多くの仲間を失いながらも、この島で約4年を過ごし、帰国嘆願のためにシベリア本土のカムチャッカ半島へ渡りました。しかし、当時の日本は鎖国状態で、嘆願は却下されてしまいます。しかし、それでも光太夫らは諦めず、帰国許可を求めてシベリアをまさに横断します。カムチャッカからオホーツク、シベリアの中心都市イルクーツク、そして、首都サンクトペテルブルクへ。ペテルブルク到着は1791年2月のこと。総移動距離は1万kmを超え、アムチトカ漂着から実に8年もの歳月が過ぎていました。光太夫らがペテルブルクを目指した理由は、女帝エカテリーナ2世(1729-1796)に直接帰国の許可を願い出るためでした。その並々ならぬ苦労と努力の甲斐あって、ついに謁見が叶います。彼らの境遇に深く同情した皇帝は直ぐに帰国許可を与え、翌年、光太夫らはオホーツク港からついに帰国の途についたのです。しかし、帰国したのは光太夫の他2名のみでした。他の仲間は、厳しい旅路の途中で命を落とすか、ロシアに帰化していったと伝えられています。
 皇帝への謁見から帰国までの間、光太夫はロシア皇太子や貴族、政府高官から大変優遇されました。様々な招待を受け、当時のロシア文化、社会を体験します。また、エカテリーナ2世の文化的事業に協力するなど大きな足跡を残しているのです。こうした貢献からか、ペテルブルクを離れる直前の1791年11月1日、光太夫はエカテリーナ2世のお茶会に招かれ、日本人として初めて本格的な欧風紅茶(ティー・ウィズ・ミルク)を楽しんだと言われています。このことから、日本紅茶協会はこの日を日本における「紅茶の日」と定めたのです。決して帰国を諦めず、仲間を導きシベリアを横断した奮闘ぶりと、ロシアにおける功績を考えれば、皇帝のお茶会に招かれたというエピソードもごく自然なことに思われます。ロシア滞在中想像もつかない苦難を味わった光太夫も、エカテリーナ2世をはじめとするロシアの人々の温かい心に触れ、優雅な宮廷の一室で美味しい紅茶とお菓子を楽しんだひと時はきっと穏やかな気持ちに満ちていたことでしょう。
イギリスの紅茶文化〜万能薬から生活必需品へ〜
 紅茶の大転換期は19世紀になりますが、この時期に紅茶により適した茶樹アッサム種が発見されました。そして、紅茶の製法が明らかになるにつれて世界各地で茶の栽培が始まりました。西欧に最初に茶がつたえられたのは1610年ですが、それより一足早くコーヒーが広まっていました。コーヒーは元々アフリカ原産であったため、アフリカに植民地を持っていたフランスが貿易権を独占していました。イギリスでも当初コーヒーが飲まれていましたが、茶が一般家庭に普及したため、一気に需要が高まりました。17世紀には中国からの茶の直接輸入が始まり、さらに19世紀にはイギリスの植民地であったインドのアッサム地方でも自生の茶樹が発見されてました。これがイギリスが独自に紅茶文化を発展させるきっかけとなったと言えます。

 紅茶文化を語る際に必ず登場するのがイギリスです。イギリスは西欧諸国の中で独自の紅茶文化を発達させた国です。その証拠と言っては何ですが、アガサ・クリスティやジェーン・オースティンから『ハリー・ポッター』までイギリスの文学作品には必ずと言ってよいほど紅茶を飲むシーンが登場します。このようにイギリス人の生活には欠くことができない紅茶ですが、茶が初めて輸入されたのは17世紀のことでした。当時は健康長寿をもたらす薬として頭痛や食欲不振、不眠から健忘症や肺炎、下痢、風邪など様々な病気に効くという誇大広告の下に飲まれていたのです。その後、王侯貴族たちがティーポットなどを使ってお茶会を開く習慣がファッションとして広がり、やがて18世紀初めにはバターつきパンと一緒に朝食で摂る習慣が確立しますが、労働階級まで幅広く紅茶を飲む習慣が広まるのは産業革命後のことです。
紅茶の歴史
紅茶の起源

 中国では紀元前より霊薬としてお茶が飲まれていました。紅茶や緑茶、ウーロン茶などの全ての茶の原料となっている茶の木は現代では世界中で栽培されています。しかし、元々の起源を辿ると、中国の雲南省とインドのアッサム地方にしか自然育成されていなかった稀有な植物でした。さらにインドのアッサム種が発見されたのは19世紀に入ってからのことで、比較的最近の出来事でした。それまでは茶と言えば中国の産地のみとなっていました。そのため、19世紀にアッサムが発見されて各地で栽培育成が行なわれるまでは、ダージリンやウバ、ケニアなどの産地の茶は存在していませんでした。
 なお、中国では紅茶よりも古くから緑茶が飲まれていました。茶葉を発酵させない緑茶は、有志以前から不老長寿の霊薬として飲まれていました。伝説によると、紀元前の2737年に神農が木陰で湯を飲むため一休みしようとした時に風に吹かれた木の葉が偶然に湯の中に入り、その葉の入った湯は素晴らしい香りと味に満ちていました。それ以来神農は、その葉の入った湯にすっかりと魅了されたと伝えられています。この時には入った木の葉こそお茶の葉だ言われています。その後の中国では7〜9世紀の唐の時代になっても緑茶が一般的で、紅茶はまだ一般には知られていませんでした。この当時の紅茶は王侯貴族だけに許された特別な飲み物として秘密にされていたようです。

 紅茶の原形となる発酵茶が一般に登場したのは次の宋の時代(10〜13世紀)になりますが、ただし、茶葉が発酵されるようになったきっかけは謎に包まれたままで正確には分かりません。この時期は、シルクロードに代表される貿易路を経て茶はアジアの各地へと急速に広まっていきました。日本に茶の種子が持ち帰られて栽培が行なわれ始めたのもこの時期です。 しかしながら紅茶の歴史に関する限り紅茶の事実上の幕開けを迎えるのは、大航海時代を経た西欧諸国が中国茶を輸入して消費地として独自の茶文化を形成するようになった17世紀からが本当の始まりと言えます。
紅茶は日本からヨーロッパへ

 紅茶と言えば何と言ってもイギリスですが、しかし、ヨーロッパで最初に飲茶の風習を広めたのは17世紀初頭のオランダでした。オランダは、日本との交易を通じて日本人の嗜んでいた茶と茶の文化に接し、それをオランダに伝えたのです。そしてこの飲茶の風習は、さらにオランダからフランス、ドイツ、そしてイギリスへ伝えられます。その証拠に、当初17世紀のイギリスでは茶はteaではなくchaと綴られていました。しかし、茶がイギリス東インド会社を通して中国の広東から運び出されるようになると、広東語のテーから次第にteaになっていったのです。
東洋から西洋への伝来とイギリスでの流行

 西欧に初めて茶を伝えたのはオランダの東インド会社です。1610年が始まりで、当時は紅茶ではなく緑茶でした。当時のオランダは中国やインドネシアとの東洋貿易に関して独占的な立場にありました。そのため、同じく東インド会社を経営していていたイギリスは已むなくインドの貿易に重点を置きます。インドで新種のアッサム茶が発見されたのは19世紀の頃なので、当時のインドには茶はありませんでした。そのため、1630年代から喫茶の習慣が広まっていたオランダに対して、イギリスでは1650年代になるまで茶は飲まれませんでした。この背景にはオランダの独占がありました。すなわち、英国貴族の間で茶が飲まれ始めても、茶は全てオランダから買わなければなりませんでした。その後イギリスは1669年にオランダ本国からの茶の輸入を禁止する法律を制定しました。それと同時にイギリス・オランダ戦争を(1652〜1674)始めました。中国から直接輸入した茶がイギリスに初めて流通したのはオランダ戦争の勝利後15年たった1689年のことです。この年からイギリス東インド会社が拠点を置く福建省アモイで茶が集められました。それがイギリスに流通するようになったのです。

 イギリスでは緑茶よりも紅茶が飲まれて独自の紅茶文化が発達しました。福建省アモイに集められた茶は全て半発酵茶の武夷茶でした。武夷茶は茶葉の色が黒かったことからブラックティーと呼ばれました。これがやがて西欧における茶の主流となります。
 ただし、紅茶の歴史が次なる新しい進化を遂げるのは19世紀になってからです。1823年にイギリスの冒険家ブルースがインドのアッサム地方で自生の茶樹を発見しますが、後にそれが中国種とは別種の茶樹であることが確認されました。さらに1845年には緑茶と紅茶は製法が違うだけで原料は同じ茶樹であることが英国人のフォーチュンによって発見されます。これによって中国種とアッサム種との交配が進み、インド、スリランカの各地で茶の栽培が始められるようになったのです。
イギリスの国民的飲料に

 1688年の名誉革命で、オランダからウィリアムが王妃メアリと共にイギリス国王として迎えられますが、お茶好きのメアリの影響は大きく、イギリスの上流階級のお嬢様の間に瞬く間に飲茶の風習が広まってゆきました。当時のイギリスにフランスのワインやドイツのビールのような国民的飲料がなかったことも紅茶人気に拍車をかけた一因です。もちろんコーヒーやココアも飲まれてはいましたが、高価で庶民には手が届かなかったのです。こうして、紅茶はいよいよ一般民衆の間にも広まってゆき、それに伴って茶価も次第に下がってゆきました。そんな中、18世紀の初めにトワイニングがロンドンに女性でも入れる喫茶店を作り、また、家庭でも飲茶できるよう茶葉の小売りを初め、飲茶の大衆化が進んでいったのです。
産業革命で一般大衆へ

 産業革命の進展の中で、栄養はあるが、作るのに時間がかかるスープやポタージュに代わって、ジャム付きのパンと砂糖、ミルク入り紅茶が労働者の簡便食として持て囃されました。長時間労働の合間の短い食事時間や休憩時間に摂る甘くて温かい紅茶は、こうして労働者になくてはならないものとなりました。政府及び産業資本家にとって、ミルクティーとジャム付きパンは、労働者をジンやアルコールから遠ざけ、安価で勤勉な労働者づくりの武器でもあったのです。
 なおこの間、北米植民地にも本国から紅茶が広まってゆきました。植民地戦争のため財政難となったイギリス本国は、この茶の需要に目をつけ、東インド会社に茶の独占販売権を与える茶条令を出しますが、これに対してボストン茶会事件が起こったのは1773年のことでした。これを契機に植民地と本国の対立は決定的なものとなり、アメリカ独立戦争を必至のものとしたのです。そして、植民地人の茶に対する不買運動が広がると共に、彼らは茶の代わりにコーヒーをより多く飲むようになり、紅茶のように薄いアメリカン=コーヒーを生むことになったのです。
中国茶からセイロン茶へ

 イギリスの重要な植民地アメリカが独立したことで、イギリスと東インド会社は当然ながら打撃を受けます。中国からの茶の輸入に支払う銀の増大に苦しんだ東インド会社は、獲得したベンガル地方の農民にケシを強制的に栽培させ、ケシからアヘンを作って、これを中国に持ち込みましたが、このアヘン貿易からアヘン戦争が勃発するのです。
 19世紀後半、全インドをほぼ手中に収めてたイギリスは、中国よりも近いインドで茶を栽培することを試みます。そして、1830年代に北部のアッサム州で野生の茶樹が発見され、それが広められてダージリンをはじめ北インドで茶園が拡大してゆくことになったのです。なお、その一方でセイロンも一大産地に成長してゆきました。リプトンが「茶園から直接ティーポットへ」を宣伝文句にセイロン茶を産地直送したのはこの頃のことでした。こうしてイギリスは茶の自給体制をほぼ完成させたのです。
世界の紅茶文化とその変遷
コーヒーハウスの登場と紅茶文化

 英国の紅茶文化の基礎を築いたと言えるのがコーヒーハウスに代表される喫茶店の存在です。イギリスでは17世紀の半ばに茶、コーヒー、チョコレートの3つが広まります。その中でコーヒーは茶よりも一足早く一般に普及しました。そのコーヒーを飲ませる店として急速に店舗を増やしていったのがコーヒーハウスです。
 コーヒーハウスの人気の背景には同時期に発達した新聞の影響があったと言われています。その理由は、コーヒーハウスでは1ペニーの入場料を払うと新聞が読めるというサービスを提供したため、たちまち商人たちの情報交換の場となり人気となりました。当時のコーヒーハウスはあくまでも男性の社交場であったため、女性や子どもたちが茶に触れる機会はありませんでした。当時の英国に輸入されていた茶は全てオランダ経由のものでしたが、やがて英国の東インド会社が茶の貿易に本格的に取り組み始め、その結果、中国アモイから茶が直接輸入されるようになりました。こうして福建省の武夷産紅茶が緑茶に代わって輸入されるようになり、これを機にイギリスにも大量の紅茶が入るようになったため、コーヒーハウス以外に上流の家庭でも紅茶が普及しました。
ティーガーデンの歴史

ティーガーデン
 そうは言っても紅茶が一般の英国人に認知されるようになったのは1730年代に誕生したティーガーデンがそのきっかけとなりました。ロンドンの郊外に次々とオープンさせていったティーガーデンは、音楽と共に紅茶を出す野外娯楽施設です。18世紀の英国上流階級の人々に広く親しまれました。しかしながら、酒類のないティーガーデンはやがて人気をなくしてゆき、さらに女性主体のアフタヌーンティーの風習が家庭で一般化されたことによって、19世紀の半ばには全てのティーガーデンが姿を消しました。
ティーカップの変遷

 現在のティーカップはほぼ同じ形状をしていますが、この形に落ち着くまでは様々な変化がありました。
 最初に西欧に中国製の磁器が輸入されたのは17世紀で、商船が船のバランスを保つために重し(バラスト)として運んだのが始まりでした。英語で磁器のことをチャイナ(china)と呼びますが、これは中国から運ばれたものということでこのように名づけられました。当初、輸入された磁器は茶と共に貴族階級の間に広まっていきましたが、この時期に磁器=茶器と考えられるようになりました。もっとも最初はこれら中国から運ばれた磁器には受け皿が付いていませんでしたし、カップには取っ手も付いていませんでした。カップのサイズも非常に小さいもので、現在のティーカップとは違っていました。この形状から、初めは茶が薬として扱われていたことを表わしています。その後、ヨーロッパ各地の陶磁器製造業者たちが中国製の磁器を模倣して数多くの磁器を作りました。英国ではかねてより酒類用の取っ手付きの大型カップが用いられてきましたが、この形状を組み合わせて、茶用の磁器にも自然な流れで取っ手付きが登場し始めました。
缶入り紅茶の登場


缶紅茶の文化
 近年の日本では大手デパートに紅茶コーナーが設置されたり、多くの種類の茶葉を揃えた紅茶専門店が登場して密かな紅茶ブームが起こっています。紅茶自体の消費量はまだまだ少ないですが、今後も需要の伸びが見込めます。現在、確実に普及してきているのが缶入りの紅茶です。缶紅茶がきっかけとなって紅茶に目覚めて紅茶ファンになった方もいるのではないでしょうか。

缶入り紅茶の人気
缶紅茶 日本では緑茶の歴史が古く、対して紅茶はまだ1世紀程しか経過していません。そのため、日本独自の紅茶文化というものはまだ発展していないと言ってよいでしょうが、その中で注目されるのが缶入り紅茶の紅茶飲料です。
 現在これほど多種類の缶入り紅茶が販売されている国は日本以外にはありません。アメリカにも缶入り紅茶飲料はありますが、日本ほどの種類は多くないです。そのため、日本が誇れる独自の紅茶文化として確立しつつあるジャンルと言えます。また、缶入り紅茶を温めてホットで飲む習慣も日本独自です。缶紅茶が普及した理由の一つは自動販売機が普及しているという点が上げられます。日本の都市の各駅には必ず売店と自動販売機が設置されています。また、人通りのある街路にはあちこちに自動販売機があります。この環境が缶紅茶が普及した大きな背景であるといえます。他には、日本人の嗜好が炭酸飲料から甘味を抑えた無炭酸飲料へと変化していることも上げられます。缶紅茶の設置スペース分、以前の炭酸系のスペースが減らされたものと考えられます。この嗜好変化はウーロン茶うや緑茶、ミネラルウォーターが多く出回っていることからも推察できます。しかし、紅茶の消費量自体を考えると、まだまだ消費は少ないと言えます。伝統的に緑茶の文化が深く根づいているため、日本では紅茶の美味しさが中々理解されにくい環境のようです。最近では紅茶専門店が登場して叙所に普及してきているので、今後の成長が楽しみです。自宅でも紅茶を趣味する人が増えて今以上に紅茶を親しむ人が増えてくることでしょう。

インドの紅茶文化とその歴史

 世界的にも最も有名な紅茶の生産地がインドとスリランカです。また、中国の場合はウーロン茶、緑茶、紅茶なども生産しているため分散されています。そのため、紅茶の生産量の世界一はインドとなります。
 本項では、インドの紅茶文化とその歴史を紹介します。そして、インドの紅茶の歴史として、イギリス東インド会社による紅茶の独占からロバート・ブルースによるアッサム種の発見までの経緯、そして、チャールズ・ブルースによるアッサム種の栽培から成功までの歴史を辿ります。
紅茶の聖地インド

 1600年にイギリスの東インド会社が設立されて以来、インドはイギリスの植民地として発達してきました。そのインドが茶葉の産地として知られるようになってきたのは1823年にアッサム地方で新種の茶樹が発見されて茶園が開拓されてからです。それ以降は順調に生産量を伸ばして、19世紀後半には中国茶を凌いでイギリスの需要を全て補うまでに成長しました。
 インドにおける茶の産地は北部と南部の2つに分けられます。一つは、北部の代表的な山地はインド紅茶の半分以上を占める世界最大の紅茶産地アッサムです。アッサム茶葉は特有のマスカットフレーバーで知られるダージリンが有名です。一方、南インド産地では、ニルギリが有名です。このように、現在では世界一の紅茶生産国として知られているインドですが、国内消費の多さでも世界一です。ミルクをふんだんに使ったマサラティーが1日に何杯も飲まれています。
インドの苦悩

 インドの茶園(エステート)では、半奴隷的農民による茶のモノカルチャー(単一栽培)が強制されました。そのため、食料不足が深刻化し、僅かの天候不順や不作が大飢饉を生むインド的現象が形成されてゆきました。そんな状況の中、たとえば数百万の餓死者が出たとされる1876〜78年の大飢饉の最中、ヴィクトリア女王のインド皇帝就任式が盛大に挙行されたりする有様でした。
 なお、セイロンの茶園にも多数のインド=タミール人が強制連行されて働かされました。後にセイロンが独立した後、彼ら労働者はセイロンからもインドからも市民権を与えられず、約100万人が無国籍状態となりました。現在スリランカで争われているシンハリ人とタミール人の対立の原因もまたこのイギリスの政策に起因しているのです。
イギリス東インド会社による紅茶の独占

 イギリス東インド会社は1600年に設立された貿易会社で、18世紀の初めまでイギリス東インド会社は中国との茶貿易を独占しており、インド国内ではボンベイやベンガル、マドラスなどに取引所がありました。イギリス東インド会社はインド経営を重点としており、その植民地化を推進する存在でもありました。しかし、1763年に起こったフレンチインディアン戦争によって、イギリス東インド会社はその特権的な地位を徐々に失ってゆきます。また、会社内部の財務不正や汚職、紅茶の密輸などの問題にも苦しんでいたと言われています。
ロバート・ブルースによるアッサム種の発見

 1823年になると、インドのアッサムの北東で自生していた茶の茂みをロバート・ブルース少佐が発見します。その後、弟のチャールズ・ブルースが、この自生の茶樹や茶種子をカルカッタ植物園長のウォーリック博士に送りました。しかし、残念ながら直ぐには認められませんでした。ブルース兄弟の功績が認められなかった理由としては、当時のイギリス東インド会社が中国茶の貿易を独占していたこともあって、本格的にインドにおける茶の製造に乗り出す必要がなかったということが挙げられます。
茶業委員会の設立

 それが1833年になると、イギリス東インド会社は中国茶の貿易の独占権を失いますが、これが転換点となり、英国人はインド独自の茶の製造に本格的に着手してゆくことになります。1834年には、インド提督のウィリアム・ベンティック卿によって茶業委員会が設立されました。茶業委員会のメンバーは中国に送られ、中国種の茶の種を輸入しようとしました。茶業委員会は最初ロバート・ブルースがアッサムで発見した茶の木はインド固有のものではないと考えていて、インドで中国種の茶を栽培しようとしたのです。こうして、まずは中国産の茶の種がカルカッタの植物園に植えられて栽培されました。
チャールズ・ブルースによるアッサム種の栽培

 そうこうしている間に、チャールズ・ブルースは茶園を開発するためにアッサムで土地を開拓していました。また、自生していたアッサム種の茶の茂みから葉をむしって実験も行なっていました。ブルースは中国から二人の茶の専門家を雇い、彼らの助けもあってブルースは着実に茶製造の秘密を学んでゆきました。
 しかし、アッサム種の開発と茶園の開拓はとても厳しいものだったようです。たとえば茶園で働いていた労働者たちに、虎や豹などの猛獣が襲いかかることもありましたす。また、入植地が地元の部族たちによって襲撃されることもあったと言います。それでもブルースたちは茶園の開発を懸命に続けてゆきました。
アッサム種の成功

 こうして、1838年にはアッサム産の茶葉が英国に向けて発送されました。翌年にはロンドンのオークションにかけられて、当時のバイヤーたちから優秀な茶葉であるという評価を受けることができました。アッサムで製茶に成功した後、1850年代になると、ヒマラヤの山裾にあるダージリンでも茶の栽培が開始されました。その後、インドの茶の輸出量は年々拡大を続けてゆき、1885年には輸出量は3万5274トンにまでなりました。
 今日、インドは世界で最大の茶の生産国のひとつになっています。また、驚くべきことにインドでは、200万人以上の人がお茶に関連した仕事に従事していると言われています。
アメリカの紅茶文化とその歴史
ボストン茶会事件

 紅茶が大きな歴史的変化をもたらした代表例とされているのが、イギリスとアメリカ植民地との独立戦争のきっかけとなったボストン茶会事件です。

 アメリカ大陸に喫茶の習慣を広めたのは、イギリス人ではなくオランダ人でした。
 イギリスよりピューリタン(清教徒)の一団がマサチューセッツに上陸したのは1620年のことで、その頃は英国にも喫茶の習慣は伝わっていませんでした。しかし、オランダの東インド会社は1610年には既に紅茶を本国に運んでいました。1626年にインディアンからマンハッタン島を買い取ってニューアムステルダムと命名した時には既に喫茶が流行していました。その後、1664年にニューアムステルダムはイギリス軍によって占領され、ニューヨークと改名させられました。当時の喫茶の風習はヨーロッパでの流行を受けてそのまま残り、それが18世紀になるとイギリス本国のティーガーデンを真似た娯楽施設まで現われました。しかし、このように植民地での茶の需要が高まったのを見たイギリス政府は、アメリカに税金を課そうとして、1765年に印紙税法を制定しました。当時のイギリスの東インド会社には、本国との茶貿易に関して不公平な独占権が与えられていました。そのため、他国の東インド会社は密輸という手段で対抗しました。その結果は、茶の最大の消費地に成長したイギリスとアメリカには大量の密輸茶が流れ込むようになります。
 イギリスによる一方的な印紙税法の制定に対して、アメリカではイギリスから輸入される商品の不買運動が起こります。そして、結局は茶税だけを残す形で印紙税法は撤廃されました。それでも茶への課税反対運動は更に広がっていきました。そのような状況下で起きたのが、1773年に起こったボストン茶会事件です。ボストン港に停泊していた英国東インド会社の傭船をインディアンに扮装した植民地人が襲撃したのです。そして、342個の茶箱を海に投棄しました。この事件をきっかけに、フィラデルフィアなどの他の港にも同様の事件が連続して起こりました。そして、最終的には独立戦争へと発展しました。
ティークリッパーの登場

 蒸気船が一般的になる19世紀の後半までは、あらゆる物資の輸送には帆船が使われていました。こうした帆船による国際輸送のリーダーシップを取ったのは現在も海運国として知られる英国です。英国は、大型の帆船を次々と建造することによって中国からの大量輸入を実現しました。しかし、このような状況を一新して中国からの茶の海上輸送に新しい時代を築いたのが、アメリカで開発された高速帆船クリッパーでした。
 アメリカの独立が茶に対する課税反対運動から始まったことからも分かるように、当時の国際貿易の中で最も価値のある商品は中国のお茶でした。当時はイギリス、スペイン、オランダ、オーストリアなどの西欧諸国が競って茶の海運に凌ぎを削っていました。そのような状況下で1783年にパリ条約によって正式にイギリスから独立したアメリカが早速中国との貿易をスタートしました。ここで、アメリカは南米を経由する新たなルートを確立して途中のカナダで集めた毛皮を中国の茶と交換するという新しい貿易を始めました。アメリカが中国に持ち込んだ毛皮は大変に珍重されて帰路には大量の茶を持ち帰ることに成功します。この結果、アメリカの海運業は活気を呈し、フランス革命による欧州各国の争いに乗じてヨーロッパの輸出にも成功します。このようなアメリカの躍進に対して、当初はアメリカ船の拿捕という強行姿勢を貫いていたイギリスでしたが、第2次米英戦争で敗北したことによってイギリス有利の法律が悉く廃止となりました。海軍国として知られたイギリスがここまで厳しい状況に追い込まれたのは、アメリカがクリッパーと呼ばれる高速帆船を開発したことが要因とされます。
アメリカの紅茶文化

 1623年にオランダはアメリカのマンハッタン島に植民地の建設を開始し、ニューアムステルダムと命名しました。そして、当時入植した上流階級の人々の間では紅茶が飲まれていました。西欧に紅茶を初めて伝えたのはオランダですが、同様に新大陸のアメリカにも紅茶を伝えたのもオランダでした。その後ニューアムステルダムは1664年にイギリス軍によって占領されてニューヨークと改名されました。そして、18世紀にイギリスでも喫茶が一般的に普及すると新大陸アメリカにも本国から磁器などの茶道具が持ち込まれるようになります。ニューヨークではロンドンを真似てティーガーデンが登場するようになりました。
 1776年にアメリカは独立して中国から直輸入するようになりますが、しかし、19世紀に入ると、その紅茶の需要が急激に落ち始めます。その理由はアメリカ人の食文化に変化が生じ始めたからです。都市化が進んで通勤する労働者が増えた結果、昼食を家で取ることが不可能となり、昼食を軽く夕食をたっぷりと採る食文化に変わってゆきました。この変化と同時に夕食時に紅茶を飲む習慣が失われて、その変わりにコーヒーが多く飲まれるようになりました。

 ただし、現代のアメリカでは昔のような伝統的な喫茶の習慣は失われています。これはアメリカ人の食生活が変化して紅茶を飲用する習慣が徐々になくなってきたからですが、それが決定的となったのは第2次世界大戦が始まってからです。戦争によって紅茶の輸入が困難になって、その変わりに南米産のコーヒーが入ってくるようになりました。しかし、熱い紅茶の文化は失われましたが、その代わりに冷たいアイスティーの文化が普及してゆきました。アイスティーは、1904年にセントルイスで開催された万博会場にて英国人によって偶然発明されました。博覧会は真夏の野外で行なわれていたため、熱い紅茶は見向きもされませんでした。そこで紅茶に氷を入れてアイスティーとして売ったところ大評判になったと言われています。ちなみに、その博覧会ではアイスティーの他にハンバーガーが初めて紹介されたことでも知られています。車社会のアメリカでは、運転しながらでも食べられるハンバーガーと蓋付きの容器に入ったアイスティーの組み合わせが人気となりました。これらは現在のアメリカの食文化を代表する飲食物となっています。
スリランカの紅茶文化


輝ける島の紅茶グリーンゴールド
 シンハリ語でスリランカは輝ける島という意味を持ちます。そのスリランカでは、19世紀の半ばから試験的に紅茶の生産が始まりました。スリランカは元々はコーヒーの産地として知られていました。しかし、1870年代の後半にコーヒー樹を枯らす害虫が大発生して、コーヒー園は数年のうちに全滅してしまいました。その後、コーヒー園の跡地には茶園が植えられるようになりました。そうして茶園が序所に拡大して行ったのです。
 現在ではスリランカはインドに次いで世界第2位の紅茶生産国にまで成長しました。ちなみに、スリランカでは紅茶のことをグリーンゴールドと呼んでいます。産地は東と西に分けられており、東側には世界3大銘茶のウバ、西側にはディンブラ、ヌワラエリヤがあります。

スリランカの紅茶の種類
 スリランカの紅茶生産量はインドに次いで世界2位です。スリランカの紅茶は茶園が位置する標高によって品質が3つに分けられる特徴があります。
  • ハイグロウンティー(高地茶):標高1200m以上
     標高1200m以上の高地で採れる紅茶をハイグロウンティーと呼び、この紅茶は最高級品として扱われます。ウヴァ、ヌワラエリア、ディンブラが代表産地として知られています。

  • ミディアムグロウンティー(中地茶):標高600〜1200m
     標高600〜1200mに位置する茶園で生産される紅茶で、キャンディが代表的な産地として知られています。

  • ロウグロウンティー(低地茶):標高600m以下
     標高600m以下に位置する茶園で生産されている紅茶で、ルフナが代表的な産地として知られています。ストロングで強い味わいからアラブ諸国で人気が高い茶葉です。

ロシアの紅茶文化


ロシアの紅茶文化
 ロシアでは16世紀以降から中国の茶が飲まれていました。西欧ではアフリカ経由の海路を使っていたのに対して、ロシアは19世紀末までラクダに乗って陸路を使っていました。陸路は海路よりも楽な印象がありますが、実際は中国から18000kmにも及ぶ長い道のりで、ラクダで16〜18ヶ月を要する大変なものでした。しかし、1869年にはエジプトのスエズ運河が完成して蒸気船の時代が幕を明け、スエズ運河からエーゲ海、黒海を抜ける海路が使われるようになりました。そして、1916年にはシベリア鉄道がウラジオストックまで開通して、これによって漸くラクダ(キャラバン)による陸運は時代の終焉を迎えたのです。

ロシアのサモワール文化
 ロシアの紅茶はサモワールという金属製の湯沸かし器を使って淹れます。サモワールは壺型をした金属製で内部には金属の中空パイプが垂直に入っています。そのパイプの中で木炭を燃やしてサモワール内の水を沸かしています。沸かしたお湯はポットに注ぎ、サモワールの上端に置いて茶葉を蒸らして濃い目の紅茶を作ります。そして、カップに注いだ後にサモワールの湯で好みの濃さに薄めて飲みます。また、ロシア紅茶にはレモンの薄切りやジャム、ラム酒などが加えられます。しかし、ミルクは余り使われません。ロシアの食事は実質1日1回のため、その代わりに紅茶を1日に何回も飲みます。従ってサモワールのような湯沸かし器が必要となってくるわけです。

日本の紅茶文化

 日本では茶樹の栽培自体は12世紀の後半から始まっていました。しかし、それらの茶は紅茶用としてではなく、緑茶として飲まれていました。

 日本で紅茶が飲まれるようになったのは明治時代の中頃からで、ハイカラな飲み物として西洋帰りの人々や西洋好きの人達の間で広まっていました。日本で紅茶が正式に輸入されたのは、明治39年(1906年)に輸入食品会社、明治屋で売られたのが最初となります。しかし、実際はこれ以前に日本でも紅茶を製造してヨーロッパに輸出販売しようと試みたこともありましたが、同時期にインド紅茶とセイロン紅茶が人気となり、さらに明治37年には政府援助金も出なくなったため、日本産の紅茶製造は衰退していきました。
 ちなみに、日本での紅茶好きの作家は『金色夜叉』で有名な尾崎紅葉です。日本で紅茶が一般的に市販されるようになったのが1906年なので、尾崎の生きた1867年〜1903年には舶来物の紅茶を買う環境は整っていませんでした。しかし、文化人の尾崎には独自に入手できる特別なルートがあったとされます。このことは、尾崎の日記に紅茶ミルクが頻繁に記載されていることからも伺えます。尾崎が飲んでいた紅茶ミルクは2合の牛乳に煎じた紅茶と砂糖を加えたものと記載されています。ミルクティーというよりも現代のロイヤルミルクティーに近い作り方だったようです。
参考:茶の歴史ともてなしの文化


■参考サイト2:
『茶ともてなしの文化』角山榮先生インタビュー - [紅茶] - All About
http://allabout.co.jp/gm/gc/218235/

◆参考図書3
角山栄『茶の世界史 緑茶の文化と紅茶の社会』中公新書
角山栄・著
『茶の世界史 緑茶の文化と紅茶の社会』
中公新書、中央公論新社・1980年12月、735円

角山栄・著
『茶ともてなしの文化』
NTT出版・2005年09月刊、2,310円
ヨーロッパ近代史に多大なる影響を与えた茶の湯文化。その「もてなし」の心が21世紀に秘める可能性を探る。


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