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「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録され、ますます世界の注目を集めるようになりました。醤油(ソイソース)は、世界100ヵ国以上で利用されるようになった世界的な調味料です。
キッコーマン「日本人の和食に関する意識実態調査」、和食に欠かせない調味料No.1は「しょうゆ」!という調査結果もでています。
以降「だし」「みりん」「みそ」「砂糖」などですが、それらより日本食の代表として親しまれている調味料なのです。
現在は、和食以外にも多くの料理が食卓に並びますが、食卓に置かれる調味料の一番は醤油ではないでしょうか。日本の食卓にかかせない醤油について調べてみました。


日本の味覚 醗酵食品・醤油
【1】醤油のルーツ
【2】 醤油の製造と種類
【3】 世界広まる醤油
【4】醤油の使い方


 
【1】醤油のルーツ
醤油(しょうゆ)は、主に穀物(大豆)を原料とし、醸造技術により発酵させて製造する液体調味料であり、日本料理における基本的な調味料の一つとなっています。醤油と、同様の調味料は別の呼び名で東アジアの民族料理にも広く使用されている。そのルーツは中国にあり、その後日本独自の製法が確立して現在に至ています。

中国のジャン 醤

 醤油のルーツは、古代中国に伝わる「醤(ジャン)」であると言われています。これが「醤(ひしお)」として日本に伝わり、大宝律令によると、宮内省の大膳職に属する「醤院(ひしおつかさ)」で大豆を原料とする醤が造られていたとされています。
醤とは当時の塩蔵品の総称で、原料別に、草醤(くさびしお)、肉醤(ししびしお)、穀醤(こくびしお)の3種類に分かれ、草醤は今でいう漬物、肉醤は塩辛類、そして穀醤が醤油の原形であったと推察されます。

 中国においては紀元前8世紀頃の古代中国に遡る。醤の文字は周王朝の『周礼』という文献にも記載されていそうです。後の紀元前5世紀頃の『論語』にも孔子が醤を用いる食習慣を持っていたことが記されている。初期の醤は現代における塩辛に近いものだったと考えられています。

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日本への伝来
  日本では、縄文時代後期遺跡から弥生時代中期にかけての住居跡から、獣肉・魚・貝類をはじめとする食材が、塩蔵と自然発酵によって醤と同様の状態となった遺物として発掘されています。
5世紀頃の黒豆を用いた醤の作り方が、現存する中国最古の農業書『斉民要術』の中に詳細に述べられており、醤の作り方が同時期に日本にも伝来したと考えられています。古代になると、701年(大宝元年)の大宝律令に官職名として「主醤」(ひしおのつかさ)という記載が現れます。主醤が扱ったものには、当時「未醤」(みさう・みしゃう)と書いた(現代の)味噌も含まれていようです。このことから同じ大豆でつくられている味噌も醤の仲間とされていたことがわかります。
 醤の日本語の訓読みである「ひしお」の用例は平安時代の903年(延喜3年)に遡ります。同年の日本最古の辞書である『和名抄』において、醤の和名に「比之保」(ひしほ)が当てられている。また927年(延長5年)に公布された『延喜式』には、醤の醸造例が記され、「京の東市に醤を売る店51軒、西市に未醤を売る店32軒」との旨の記述もある。さらに1116年(承久4年)の太政大臣藤原忠通の年賀の献立を記した『類聚雑要抄』(るいじゅうぞうようしょう)には、具体的な図による描写も現われ、そこには塩、酒、酢とともに小皿に入れられたものが『四種器』(よぐさもの)と記されている。
 奈良時代には、遣唐使によって多くの中国文化が伝えられ、漬け物(醤漬)や味噌(未醤または高麗醤)を始めとするさまざまな発酵食品がつくられるようになりました。 「醤」が急速に発展し、醤(ひしお)の種類も増え、その原料も大豆・米・麦・(もちごめなどが用いられました。それらの材料に塩と麹を混ぜて発酵させて、今の醤油と味噌の中間のような醤や未醤、中には天日干しにして堅味噌のようにした醤も現れました。当時、 中国から「唐醤(からびしお)」が、朝鮮半島から「高麗醤(こまびしお)」が伝えられて種類も多くなり、これら穀類を材料にしたものが「醤」の中⼼となります。 醤(ひしお) 復元奈良時代は、庶⺠の調味料は塩だけであり、塩漬け以外には味をつけて調味をするということはなかったようです。一方、醤(ひしお)は上流階級の調味料とされ、寺院や貴族だけが口に出来る贅沢な食べ物でした。

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醤油として
 鎌倉時代、紀州由良(現在の和歌山県日高郡)の興国寺の僧であった心地覚心(法燈円明国師)であり、覚心が中国で覚えた金山寺味噌の製法を紀州湯浅の村民に教えている時に、この味噌から分離した液体が「溜醤油」の始まりとされています。
 鎌倉・室町時代に入ると、この調味料造りの伝統は主に寺院に受け継がれ、室町時代の中頃には、『四条流包丁聞書』に「垂味噌」「薄垂れ」など、今の醤油に近いと思われるものが記載され、ほぼ現在の醤油に近いものが造られるようになりました。「醤油」という文字が誕生したのもこの頃で、公家日記『言継卿記』に病気見舞いとして「しようゆう」を使用したと記述され、また初めて文献に登場するのは安土桃山時代の日常用語辞典『易林本節用集(えきりんぼんせつようしゅう)』だとされています。
 醤油の醸造は室町時代の末頃から盛んになり、当時の文化の中心であった関西で円尾孫右衛門が、淡口醤油を開発、工業化が始まりました。
 江戸が政治の中心となり、日本一の大都市に発展していくと、さまざまな独自の文化が生まれ、江戸の人々の嗜好に合わせた「濃口醤油」が広まりました。そば、天ぷら、蒲焼きなどの江戸料理が完成したのは文化・文政時代と言われていますが、そのどれもが醤油なしには生まれなかった味わいです。


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近代醤油
 明治時代初期では醤油産業自体、手工業的要素が強かったが、1882年(明治15年)以降になり理科学的な手法の研究進歩に伴い、醸造技術及び企業形態の近代化が徐々に進んでいきました
明治時代の市販品は、まだまだ贅沢な調味料であり、一般家庭では依然として味噌由来のたまりなどが使われてました。富山県の農村(上市町)の例では、庶民は正月や祭礼時に1~2合買う程度であの高級品でした。 普段の調理に使われるようになったのは大正時代に入ってからであり、一般家庭が一升買いをするようになったのは、昭和時代初期になってからです。
 昭和になるまでは、多くの醤油は江戸時代後期に確立した醤油醸造法とほぼ変わらない製法で作られてきました。しかし、現在では一部の「手作り醤油」を除いては自動化された大量生産の工場で造られています。昭和の初め頃には、原料が丸大豆から脱脂加工大豆が使われるようになります。さらに、戦後の原料不足により、本物の天然醸造醤油が次々と姿を消していきました。
 昭和30年(1955)になると著しい技術革新がおこわれて製法が人手から設備が刷新され機械化が進みました。その後、もろみ管理技術の著しい進歩によって従来は1年ないし1年半の期間を要した醤油醸造が3か月から半年たらずの期間に短縮されるという早醸技術まで進歩しました。
 平成をして令和の時代になり消費者の本物志向・自然志向により、日本の伝統製法で大豆・小麦・塩だけを使い天然熟成させてつくる無添加の「天然醸造醤油」主流になってきました。昔ながらの醸造方法で作られる天然醸造醤油には、他に調味料を加えなくても、十分なコクと旨みがあり、料理の味を引き出してくれます。
醤油製造業の全国事業所数は、平成15年度で1600社あまり。醤油製造業は大手メーカーの寡占化が進み、上位5メーカーで全国の総出荷額の50%を占めています。通常の料理に使う醤油と、卓上や刺身、卵かけごはん用など用途向けに最適な商品も多数登場してさらなる発展が期待されています。

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【2】醤油の製造方法
 醤油の歴史でも触れましたが、発酵食品として発展してきた醤油、日本独自の製造方法で、世界無形文化遺産に登録された日本食を支える醤油はどのように製造されているのでしょうか。。

醤油の原料
 醤油の主原料は大豆、小麦、食塩です。この他の原料は水と麹菌(こうじきん)だけです。
◇ 脱脂加工大豆
大豆はタンパク質や多量の油脂が含まれており、丸大豆を使用すると醸造の過程で醤油として搾った後でも油脂が上部に浮かぶので、最近は油脂を除去した脱脂加工大豆が主に使われています。
⼀般には、脱脂加工大豆で作られた醤油は、「香りの立つつキレのある風味」、「強いうま味」を特長としています。
◇ 丸大豆
丸大豆を用いて造られた醤油は「まろやかさ」、「重厚な風味」、「深いうま味」が特長であるといえます。
大豆の油分があると熟成の過程で油が「脂肪酸」と「グリセリン」に分解されます。グリセリンは、甘みをもった油で溶けやすい性質も持ち、これが長い熟成の間に醤油の中に溶け込んでいくために、コクのあるまろやかな味に仕上がります。大豆の成分は一般的に水分12%位、粗たんぱく質35〜40%、粗脂肪15〜20%、その他成分となっています。その中のたんぱく質は約20種類ものアミノ酸から成り、味に関する最も大切なアミノ酸はグルタミン酸、アスパラギン酸が旨みとなっています
◇ 小麦
小麦は炭水化物が82〜83%位、粗たんぱく質12%位、粗脂肪2.5%位、そのうちたんぱく質と糖質が、醤油の甘味とコクを作りだします。小麦の炭水化物が麹菌によって分解されるとブドウ糖に変わる。さらにブドウ糖が乳酸や酢酸、アルコールに変化し、味をまろやかにしたり、香りを良くしたりすしてくれます。
◇ 塩
塩辛さのもとである食塩は、塩気の旨みを加える大切なものであるとともに、微生物の働きを抑える醤油を長期保存する働きも持っています。麹をまぶした大豆・小麦と食塩水を混ぜることで、醤油の熟成に必要な微生物だけが働き、おいしい醤油となるしてくれます。
◇ 麹菌
種麹に使用されるカビを総称して麹菌と呼びます。麹菌はジアスターゼ、プロテアーゼ、リパーゼなどの分解酵素があり、でんぷん、タンパク質、油脂などの加水分解をおこないます。また、麹菌は30種以上もの香りの成分を造り出す効果もあります。
◇ 
水も、醤油造りには欠かせない大切なものです。食塩を溶かした「仕込み水」は、発酵させた麹菌と混ぜ合わせて、諸味のベースとなります。
日本の軟水がうまい醤油を生み出すもので、各地域の水脈からのを仕込み水も、独自の風味を生み出してもととなっています。

もろみ造り
  醤油の主原料である、大豆と小麦の加工処理を行います。洗浄した大豆は、水に浸して必要な水分を与え、加圧蒸気により高圧・短時間で蒸します。小麦は、焼砂と一緒に煎ります。火加減を見ながら、手作業で火の入れ具合を確認して煎ります。炒った小麦は冷却タンクで粗熱を取り、サイロに入れます。
盛り込みを行います。前工程で、消化の良い状態に蒸された大豆に、挽き割って乾燥させた小麦をまぶします。そこに麹菌を散布しながら混合し、必要な温度と湿度に制御して、麹室と呼ばれる場所で熟成させます。
手入れ作業に移ります。麹菌が繁殖すると、高温を発しながら、菌糸で締まってきます。ここで、適温化と酵素力強化のため、「手入れ」を行います。手入れとは、麹となる混合物を撹拌してほぐし、空気を送り含ませる作業です。
出来上がった醤油麹を、食塩水と混合して発酵タンクに投入します。これを「出麹」といい、麹の表面が花畑のように黄色くなるので「花入れ」とも呼ばれます。混合する食塩水は、マイナス5℃に冷却したものを用いて冷却殺菌を行います。塩水と混合して仕込まれた麹が、諸味(もろみ)です。タンクの中で1ヶ月冷却した諸味は、ゆっくりと加温して発酵を促進。この時に、酵母菌を添加します。諸味は仕込み中、攪拌して空気を送り込みます。タンクの中で、10mの高さを上下移動させ、均一発酵に近づけます。
もろみをかき混ぜながら、寝かせると麹菌、酵母、乳酸菌の働きで、大豆タンパク質、小麦の糖質が分解され、熟成がされていきます。熟成が進むにつれて、もろみは粥状になり、色が濃くなっていきます。

圧搾から製品化まで
圧搾  味や香りが整い、発酵後、熟成した諸味は、木枠で囲まれた布に数リットルづつ入れ、木枠を何枚も重ねて自重で搾ります。自重で搾りきった後は、油圧で押して水分が無くなるまで搾ります。 この時に搾り出された液汁がいわゆる「生醤油」で、「生揚げ」と呼びます。 圧搾した生醤油は、次に余分な油分や固形分を除きます。これを「生おり引き」と言います。
調整した「生揚げ」を、プレート式殺菌機で瞬間高温加熱して、殺菌と調理(色・香り・味を整える)を同時に行います。これにより醤油の風味を高め、安定させます。加熱殺菌後、冷却させた醤油をろ過機に通して清澄度を高めます。
火入れ・ろ過を終えた醤油は、品質を検査し、銘柄別・容器別に充填され、製品化されます。皆様の食卓にならぶことととなります。

本醸造方式の工程令

各種醤油の製造方法
■濃口醤油の製造法
•混合醸造方式:もろみを造るまでは、本醸造方式と同じで、もろみへアミノ酸液・酵素分解調味液・発酵分解調味液をプラスして熟成させたものです。その後の製造方法も同じです。
•混合方式:本醸造醤油か混合醸造醤油に、アミノ酸液・酵素分解調味液・発酵分解調味液を加えて造る方法もあります。。
■薄口醤油
播州龍野で生まれた醤油。淡口醤油とも呼ばれています。薄口と書くが、色が薄いという意味で食塩濃度は逆に高くなっているのが特徴です。素材の色を活かした煮物、薄い色に仕上げたい汁物などに使われています。そのため、製品の色を薄くするために食塩水の量を多くし、熟成期間を短くし、熟成を抑える分風味が落ちるため、甘酒を加える地域もあります。
■たまり醤油
中部地方で主に作られ、九州でも造られている。とろりとした液体が特徴だ。主な原材料は大豆で、小麦はわずかしか使いません。大豆を蒸し、味噌玉麹(みそたまこうじ)と呼ばれる麹を作ってから食塩水と混ぜ、熟成が進むにつれて底に液体がたまり、その液体をくみ上げて全体に回しかけながら、ほぼ1年間発酵・熟成させて製造します。
■再仕込み醤油
山口県柳井地方が発祥。別名甘露醤油。色が濃く、ドロッとしている。本醸造方式で、食塩水を使うところを、生揚げ醤油を使って製造される。
■白醤油
愛知県三河地方で生まれた醤油。薄口醤油よりもさらに色が淡く、琥珀色をしている。主原料は小麦で、わずかに大豆が使われています。大豆は炒って皮を剥き、小麦も精白してから使う。本醸造醤油の火入れまでは同じ製造工程で、加熱処理を行なわないのが特色です。約3カ月間低温を保って熟成する。

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【3】 世界に広まる醤油
「醤油」は日本の食文化の象徴のひとつとしてあげることができます。「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録され、ますます世界の注目を集めるようになりました。醤油(ソイソース)は、世界100ヵ国以上で利用されるようになった世界的な調味料です。

江戸時代から海外へ行っていた醤油
 日本国外への輸出は1647年(正保4年)にオランダ東インド会社によって開始された。この当時は樽詰めされた物が一般的だった。オランダ船と中国船によって運ばれた醤油は、主に中国本土、東南アジア、インド、スリランカなどで使われていましたが、一部の醤油がオランダ本国まで運ばれ、貴重な極東の調味料として珍重されました。伝承によればルイ14世の宮廷料理でも使われたという。フランスでの日本産醤油に関する記述は、『百科全書』(1765年)に現れる。当時の記録によると腐敗防止のために、一旦沸騰させて陶器に詰めて歴青で密封したという。用いられたビンは「コンプラ瓶」と呼ばれた陶器の瓶であり、多数が現存する。なお、「コンプラ瓶」が使用され始めたのは、1790年(寛政2年)からである。
1737年(元文2年)から1760年(宝暦10年)までの24年間(うち1738年は不明)に、約15,570リットルの醤油がオランダ本国へ運ばれたことが判っています。 これは、年平均で約 707リットルの量です。
昔から日本の醤油の品質が大変優れていたことは、西欧の文献からもわかります。1775年(安永4年)から1年あまり、オランダ・長崎商館の医務員として勤務した、スウェーデンの医師で植物学者でもある、ツンベルクが書いた『ツンベルク日本紀行』には、日本の醤油についての記述があります。
「日本人は非常に上質の醤油をつくる。これはシナ(中国)の醤油に比して遙に上質である。多量の醤油がバタビア(ジャカルタ)、印度(インド)、及び欧羅巴(ヨーロッパ)に運ばれる。」(『ツンベルク日本紀行』 山田珠樹訳)
また、フランスのドン・ディドロが編集した『百科全書』第15巻(1765年刊行)にも、日本の醤油についての解説文が掲載されており、当時ヨーロッパでも一定の評価を受けていたことがうかがい知れます。

明治維新以降は停滞期
幕末から明治維新になると安価な中国産醤油やインドネシア産醤油(中国系醤油)に押され、明治から大正および昭和前期の醤油の輸出は、主として海外在留邦人向けの範囲にとどまってしまいました。明治14年当時生産過剰気味となっていた醤油の、需要拡大策の意味もあって、積極的に海外展開しようという機運が生まれてきました。日本の醤油は品質的に優れており、ヨーロッパでの評価は高かったものの(例えばイギリスではソースの原料として引き合いがあった)、価格的な問題や大量輸送に適さない和樽容器の問題などで、新たな販路の開拓が困難な状況にありました。
二度の世界大戦などをなどを挟み、戦後の民間貿易が「連合国軍総司令部」(GHQ)により条件付きながら再開されたのは、1947年(昭和22年)8月15日でした。しかし、国内の供給も不十分なこの時期は、輸出に向ける量的余裕がなかったのです。1948年になると、国内の醤油供給にも若干ながら余裕が出始め、醤油輸出再開について検討され始めました。
 醤油輸出が再開されて輸出量もしだいに増え、5年後の1954年(昭和29年)の輸出量は約1,725キロリットルでした。輸出再開後は、全体の80%以上がハワイを含むアメリカ向けで、これは戦前の輸出が中国中心であったのと比べると、大きく変わった点といえます。

世界市場開拓期
 アメリカの醤油市場は、前述したとおり、戦前と違って非アジア系の人々への市場対応ばかりでなく、在留邦人を含めた日系人市場の変化にも対応しなくてはならず、まったくの新市場開拓と変わらなかったのです。その中で醤油を使ったアメリカ人好みの料理を開発し、その料理を試食してもらって、醤油の味を知ってもらおうということでした。またアメリカ人家庭の家族数や家庭での食事の実態から、アメリカ人家庭に合った容器の開発など新たな展開をしていきました。世代交代によって「日本の醤油=本醸造醤油」の味を忘れてしまった日系人へのアプローチも、重要な活動として展開されました。こうした地道な活動を通じて、醤油が肉にすこぶるよく合う(「デリシャス・オン・ミート」)こと、スープやドレッシングの味つけにも適していることなどを訴えた結果、アメリカ人のキッチンやテーブルにも醤油が置かれるようになりました。同様の展開はヨーロッパ、とくに北欧諸国でも成功し、人々の食生活の中に、醤油が根づいていきました。

海外生産により世界的な調味料醤油へ
 現地生産の第一段階として、1968年(昭和43年)1月、米国カリフォルニア州オークランドで原液を日本から運び、現地で壜詰にするという方式が開始されました。 その後アメリカでの醤油の需要は予想以上に順調に増え続け、年間の販売量は工場建設をも可能にするまでになりました。そして1973年(昭和48年)6月、米国ウィスコンシン州ウォルワースに工場が建設され、原料処理から製品までの現地生産が開始されました。
続いて、1984年(昭和59年)11月には、シンガポール工場が完成しました。2015年では12工場が醤油を生産し、ここを拠点に世界100 カ国以上に輸出されている。2010 年時点の日本からの醤油輸出量が1万8千kl。海外での生産量と合わせると日本全体の消費量のおよそ1/4 に及ぶ醤油が海外で消費されているという。キッコーマン1社で見ると80%が北米、13%が欧州、残り7%がアジア・オセアニアで販売されており、2014 年3 月期には海外での売上が初めて国内を上回るなど海外での醤油の消費量は堅調な伸びを見せている。







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【4】醤油の使い方
日常何気なく使っている醤油ですが、醤油の特徴を良く知り、さらにおいしく使い方、新たな醤油の利用方法などをご紹介します。
料理をひきたてる3つの要素
醤油は色・味・香り、3つの要素から成り立つ調味料です。主原料である大豆のたんぱく質と小麦のでんぷんが発酵・熟成し、さまざまな味の成分、色や香りの成分に生まれ変わります。非常に多くの成分が含まれながら、味や香りのバランスが崩れないのは、これらが単に混ざり合っているだけではなく、長い熟成期間中、互いに作用し合って、絶妙な調和がとれているためです。無数の要因が絡み合って自然に生まれる、醤油の色・味・香り。繊細で複雑なその魅力が、さまざまな料理のおいしさをひきたてます。
色 … 食欲をそそる美しい色
醤油の色は、種類の区別にも重要です。例えば、こいくち醤油は、透明感のある鮮やかな赤橙色、素材に食欲をそそる美しい色をつけます。うすくち醤油は黄色みを含んだ淡い赤橙色、素材の色合いを大切に生かします。種類によって異なるこうした醤油の色は、主に小麦から生まれるブドウ糖と、大豆のたんぱく質からつくられるアミノ酸が熟成中に反応してできるメラノイジンという物質によるものです。
味 … 五原味が出す奥深い味
<甘味>醤油の甘味は、小麦のでんぷんが醸造中にブドウ糖に変化して生まれます。全体の味をやわらかくし、丸みを持たせる働きがあります。口に含むと、舌の先にこの甘味をほのかに感じます。
<酸味>醤油の酸味は、乳酸菌の働きによってブドウ糖が変化して生まれます。こうして造られた有機酸類は、塩味を和らげ、味をひきしめる働きをしています。
<塩味>醤油の塩分は、こいくち醤油で15~17%。海水の約5〜6倍にもあたりますが、それほど塩辛く感じないのは、その他の成分が塩味を和らげ、深みのある味をつくりだしているからです。
<苦味>苦味成分も醤油の中には数種類含まれています。苦味を直接感じることはありませんが、「コク」を与える隠し味的存在として、醤油の味をすっきりとひきしめています。
<うま味>醤油のうま味は、大豆と小麦に含まれるたんぱく質が、麹菌の酵素で分解され、約20種類のアミノ酸に変化して生まれます。中でもグルタミン酸は、醤油のうま味の主役です。
香 … 香りの成分は約300種類
私たち日本人は、醤油の芳ばしい香りに敏感に反応します。屋台の餅焼き、トウモロコシやイカ焼きなどつい食種を動かされます。
醤油の香りは非常に複雑で、麹菌、酵母、乳酸菌などの微生物の働きによって生まれます。本醸造醤油に含まれる香りの成分は、りんごやバラやバニラなど、現在発見されているものだけでも約300種類。特定の香りが目立ちすぎることなく、全体に調和して醤油の独特な香りをつくりだしています。魚介類や肉類の生臭さを消すスパイスの働きを持ち、加熱すると芳ばしい香りが生まれます。

醤油のおいしさと効果効能
消臭効果
生臭さを消してくれる:マグロのお刺身を食べる時、醤油なしでそのまま食べることを想像してみてください。ちょっと嫌ですよね。刺身に醤油をつけるのは、味付けのためだけでなく、生臭さを消す目的もあります。醤油はたくさんの成分を有していますが、アミノ酸の一種であるメチオニンが変化したメチオールという成分に魚や肉の生臭みを消す作用があります。
加熱効果
焼き鳥のあの香り:焼き鳥や蒲焼などの食欲をそそるあの香り。その正体は、醤油に含まれるアミノ酸とブドウ糖が加熱されて起こるアミノカルボニル反応によるものです。煮物や照り焼きをするときに醤油にみりんを加えることも、みりんに含まれる糖を加えることでこの反応を促進させることにつながっています。メラノイジンという色素と香りの成分ができ、きれいな照りも出てくるのです。
静菌効果
雑菌から守ってくれる:醤油は適度な塩分やアルコール、有機酸などが含まれているため、大腸菌などの増殖を止めたり、死滅させる効果があります。この効果を利用したものが醤油漬や佃煮などで、生鮮食品も醤油で濃く味付けをすることで保存がきくようになります。
緩衝効果
おいしいpHに保ってくれる:食べ物をおいしく感じるのは、弱酸性(pH4~5)といわれています。醤油自体も弱酸性で、醤油を加えることでおいしく感じる弱酸性に近づける効果があります。アルカリ性であるこんにゃくや納豆、生卵に醤油をかけることで弱酸性に近づけたり、「何をかけたらいいか分からないけど、とにかく醤油をかけておけば大丈夫!」という場面もこの効果の一種だと思われます。
相乗効果
両方のよい部分がひきたつ:出汁をひく時、よく耳にするのが相乗効果。昆布に含まれるグルタミン酸、鰹節に含まれるイノシン酸、椎茸に含まれるグアニル酸。これらが一つだけの時より混ぜ合わせた時のほうが、両方の味がともに強められる現象です。醤油に含まれるうま味成分はグルタミン酸が多く、そばつゆや天つゆがおいしく仕上がるのががよい例だと思います。
対比効果
スイカに塩の原理です:一方の味が強く、他方の味が弱い時、強い味がいっそう強く感じられるのが対比効果です。和菓子のあんこの隠し味に醤油を加えたり、煮豆の仕上げに少量の醤油を加えることで甘味を引き立てる現象です。お汁粉やスイカに塩をひとつまみかけるのも同じ効果で、アイスクリームに醤油をかけるとおいしいのもこの効果だと思われます。
抑制効果
塩辛さをやわらげてくれる:漬かりすぎた漬物や塩鮭など、塩辛いものに醤油をたらすと、塩辛さが抑えられ、まるみのある味わいになることがあります。これは醤油の中に含まれる乳酸や酢酸などの有機酸類に塩味をやわらげる力があるため。すっぱすぎる酢の物などに醤油を加えてマイルドにしたり、チャーハンの油っぽさを減少させるのもこの効果だと思われます。

ちょっと醤油の使い方
豆腐
絹豆腐:おいしい豆腐には淡口醤油、普通の豆腐には溜醤油がおすすめです。
木綿豆腐:溜醤油が一番安定感あり。溜のしょっぱさはほとんど感じられず、豆腐のうま味と調和するので一番のおすすめ。
お吸い物
かきたま汁:生成り醤油、独特の存在感があり、全体をまるく柔らかくする。口の中で変化を繰り返す後味の余韻が独特で魅力的。
貝のお吸い物:本醸造醤油、だしと具材のじゃまをせず上品に仕上げてくれる。三河しろたまり貝の香りと味を活かしたすっきりとしたお吸い物に仕上がります。かつおだしより貝や昆布だしとの相性よいように感じます。
煮物
雑菌から守ってくれる:醤油は適度な塩分やアルコール、有機酸などが含まれているため、大腸菌などの増殖を止めたり、死滅させる効果があります。この効果を利用したものが醤油漬や佃煮などで、生鮮食品も醤油で濃く味付けをすることで保存がきくようになります。
照り焼き
食欲そそるテリとツヤが食欲をそそる照り焼き、鶏肉、ぶりなど両面が焼けたら漬けだれを回しいれ、火を強めてたれをからめる。
ステーキ
美味しさが引き立つわさび醤油で食べたい!そう思う方は少なくないはず。あっさりキレのある濃口醤油でいただくのもあり。濃厚でうまみたっぷりの再仕込醤油でいただくのもあり。どちらも肉本来のおいしさをお楽しみいただけるはずです。
刺身
刺身は醤油とわさびの組み合わせ、マグロ、青魚、白身魚、貝類など組み合わせはお好み次第です。
卵かけごはん
とっておきの醤油を使う場面として、「卵かけご飯」。美味しい醤油と美味しい卵の組み合わせのシンプルでありながら何事にも替えられない食べ方です。


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